藤本大学~徒然なるままに(弁護士ぎーちのブログ)

ぎーち(弁護士藤本一郎:個人としては大阪弁護士会所属)のブログです。弁護士法人創知法律事務所(法人は、第二東京弁護士会所属)の代表社員です。東京・大阪・札幌にオフィスを持っています。また教育にも力を入れています。京都大学客員教授・同志社大学客員教授・神戸大学嘱託講師をやっています。英語・中国語・日本語が使えます。実は上場会社の役員とかもやっていますし、ビジネスロイヤーだと認識していますが、同時に、人権派でもあると思っています。要するに、熱い男のつもりです。

弁護士に対する懲戒請求とは何なのか?

弁護士に対する「不当」な懲戒請求に対し、その請求を受けた東京弁護士会所属の北周士弁護士と佐々木亮弁護士が5月16日、記者会見をしたことで、大きく報道された(その様子については、HUFFPOSTの記載が詳しい。)。その後、例えば橋下弁護士らが、北弁護士らの今回の対応について批判的なツイートを掲載している

北弁護士とは、個人的に親交もあるが、そもそも、弁護士に対する懲戒請求制度について、正確に理解されていないところがあると思うし、また、私もいち弁護士として、世の方々に正しくこの制度を使って欲しいと思うため、少し記載をしてみたい。


1.懲戒請求制度の概要と趣旨
2.懲戒請求制度の仕組み
3.北弁護士に対する懲戒請求不法行為か?
4.共同不法行為性と、損害論
5.おわりに


1.懲戒請求制度の概要と趣旨

弁護士法第八章(56条以下)は、弁護士及び弁護士法人に対する懲戒制度を規定している。
弁護士及び弁護士法人は、弁護士法や所属弁護士会日弁連の会則に違反したり、所属弁護士会の秩序・信用を害したり、その他職務の内外を問わず「品位を失うべき非行」があったときに、懲戒を受けることになっている(同法56条)。

懲戒は、基本的にその弁護士等の所属弁護士会が、懲戒委員会の議決に基づいて行う。
弁護士に対する懲戒の種類は、次の4つである(同法57条1項)。

  • 戒告(弁護士に反省を求め、戒める処分です)
  • 2年以内の業務停止(弁護士業務を行うことを禁止する処分です)
  • 退会命令(弁護士たる身分を失い、弁護士としての活動はできなくなりますが、弁護士となる資格は失いません)
  • 除名(弁護士たる身分を失い、弁護士としての活動ができなくなるだけでなく、3年間は弁護士となる資格も失います)

つまり、懲戒を受けると、最悪弁護士たる身分や、弁護士となる資格を失うのである。

また、この懲戒の結果は、官報に公告される(同法64条の6第3項)ほか、弁護士の機関誌である「自由と正義」という雑誌に公表される(従って、単なる「戒告」であっても、皆に知られてしまうから、大ダメージである)。最近では、その雑誌に公表された結果を掲載するホームページもあるようである。また、最終的に懲戒されないという結論になるとしても、所属弁護士会が懲戒手続を開始すると、法律上、登録換又は登録取消の請求をすることができない(同法62条)。例えば、引っ越しで大阪から東京に登録を換えて弁護士をしようとしても、その変更ができないのである。通常、懲戒請求の結論が出るまで、1年では効かないそこそこ長い期間がかかるので、この負担は、全く軽視できない。

そのような重い手続である懲戒の請求を、「何人も」「その事由の説明を添えて」求めることができる(同法58条1項)。そこで、今回北弁護士らに対する大量の請求が現実に発生したのである。

なぜ、そのような大量に請求されることもある、弁護士にとっては請求されるだけでも辛いともいえる懲戒請求を、「何人も」できるようにしているのだろうか。

冒頭紹介した橋下弁護士が、かつてある刑事事件の弁護人に関し(一部省略するが)「(3)ぜひね、全国の人ね、あの弁護団に対してもし許せないって思うんだったら、一斉に弁護士会に対して懲戒請求かけてもらいたいんですよ」、「(4)懲戒請求ってのは誰でも彼でも簡単に弁護士会に行って懲戒請求を立てれますんで、何万何十万っていう形であの21人の弁護士の懲戒請求を立ててもらいたいんですよ」、「(5)懲戒請求を1万2万とか10万とか、この番組見てる人が、一斉に弁護士会に行って懲戒請求かけてくださったらですね、弁護士会のほうとしても処分出さないわけにはいかないですよ」などと、番組の視聴者に対し、本件弁護団を構成する弁護士について懲戒請求をするよう呼び掛けたことが、不法行為を構成するかどうか争われた最高裁の裁判(最判平成23年7月15日判タ1360号96頁。以下「橋下事件最高裁判決」という。事案としては、橋下弁護士不法行為責任はないと判示された。)の裁判官竹内行夫の補足意見では、次のように説明されている。

「弁護士に対する懲戒については,その権限を自治団体である弁護士会及び日本弁護士連合会に付与し国家機関の関与を排除していることとの関連で,そのような自治的な制度の下において,懲戒権の適正な発動と公正な運用を確保するために,懲戒権発動の端緒となる申立てとして公益上重要な機能を有する懲戒請求を,資格等を問わず広く一般の人に認めているものであると解される。これは自治的な公共的制度である弁護士懲戒制度の根幹に関わることであり,安易に制限されるようなことがあってはならないことはいうまでもない。日本弁護士連合会のインターネット上のホームページにおいても,「懲戒の請求は,事件の依頼者や相手方などの関係者に限らず誰でもでき,その弁護士等の所属弁護士会に請求します(同法58条)」と紹介されているところである。
 懲戒請求の方式について,弁護士法は,「その事由の説明を添えて」と定めているだけであり,その他に格別の方式を要求していることはない。仮に,懲戒請求を実質的に制限するような手続や方式を要求するようなことがあれば,それは何人でも懲戒請求ができるとしたことの趣旨に反することとなろう。
 また,「懲戒の事由があると思料するとき」とはいかなる場合かという点については,懲戒請求が何人にも認められていることの趣旨及び懲戒請求は懲戒審査手続の端緒にすぎないこと,並びに,綱紀委員会による調査が前置されていること(後記)及び綱紀委員会と懲戒委員会では職権により関係資料が収集されることに鑑みると,懲戒請求者においては,懲戒事由があることを事実上及び法律上裏付ける相当な根拠なく懲戒請求をすることは許されないとしても,一般の懲戒請求者に対して上記の相当な根拠につき高度の調査,検討を求めるようなことは,懲戒請求を萎縮させるものであり,懲戒請求が広く一般の人に認められていることを基盤とする弁護士懲戒制度の目的に合致しないものと考える。制度の趣旨からみて,このように懲戒請求の「間口」を制約することには特に慎重でなければならず,特段の制約が認められるべきではない。この点については,例えば本件のような刑事弁護に関する問題であるからとの理由で例外が設けられるものではない。
 第1審被告は,本件発言(4)で懲戒請求は「誰でも彼でも簡単に」行うことができると述べて本件呼び掛け行為を行ったが,その措辞の問題は格別,その趣旨は,懲戒請求権を広く何人にも認めている弁護士法58条1項の上記のような解釈をおおむね踏まえたものと解することができると思われる。
 ところで,広く何人に対しても懲戒請求をすることが認められたことから,現実には根拠のない懲戒請求や嫌がらせの懲戒請求がなされることが予想される。そして,そうしたものの中には,民法709条による不法行為責任を問われるものも存在するであろう。そこで,弁護士法においては,懲戒請求権の濫用により惹起される不利益や弊害を防ぐことを目的として,懲戒委員会の審査に先立っての綱紀委員会による調査を前置する制度が設けられているのである。現に,本件懲戒請求についても,広島弁護士会の綱紀委員会は,一括調査の結果,懲戒委員会に審査を求めないことを相当とする議決を行ったところである。綱紀委員会の調査であっても,対象弁護士にとっては,社会的名誉や業務上の信用低下がもたらされる可能性があり,また,陳述や資料の提出等の負担を負うこともあるだろうが,これらは弁護士懲戒制度が自治的制度として機能するためには甘受することがやむを得ないとの側面があろう。」

つまり、弁護士会は、国家機関の関与を排除して監督官庁がなく、自治によって運営されている以上、その懲戒制度がきちんと運営されるために、資格等を問わず「何人も」広く一般の人でも懲戒請求できるようにして、弁護士や弁護士会の公正を保つために認めているのである。故に、一般の人が懲戒請求できなくなってしまうような要件を設けるとか、専門的な意見が言えないと懲戒請求ができなくなるようにすることは間違いだが、「現実には根拠のない懲戒請求や嫌がらせの懲戒請求がなされることが予想される。そして,そうしたものの中には,民法709条による不法行為責任を問われるものも存在するであろう。」と説明されるとおり、間口を広くした結果として、一般人からの「根拠のない懲戒請求や嫌がらせやの懲戒請求」については、「不法行為責任」が問われ得ることについても、広く認識されているところである(つまり、そのような請求が来てしまうのは、制度上「やむを得ないとの側面」があるが、そのような不当請求については、この補足意見を前提とすれば、別途の裁判で解決する、ということになる)。

おそらく、これは想像であるが、北弁護士らは、このような大量の懲戒請求を目の前にし、上記橋下事件最高裁判決も十分検討した上で、今回の懲戒請求は、「根拠のない懲戒請求や嫌がらせの懲戒請求」に該当するものとして、「民法709条による不法行為責任を問」うことにより、別途の裁判で解決しようと考えたのではなかろうか。


2.懲戒請求制度の仕組み

さて、一般の方から懲戒請求されたことについて、北弁護士らは、裁判で損害賠償請求をすると言っているが、では、懲戒請求制度は、一度請求すると、どのように進展するのであろうか。

この点をわかりやすく図示しているのが、日弁連のホームページにあるので、リンクを貼っておく

何段階かに分かれており、まず、当該弁護士の所属弁護士会の内部にある「綱紀委員会」という委員会が審査をし(弁護士法58条2項)、その結果、懲戒委員会の審査を求めるという議決となった場合に、「懲戒委員会」による審査を求めることになる(同法58条3項)。「懲戒委員会」の審査の結果、「懲戒することを相当と認めるときは、懲戒の処分の内容を明示して、その旨の議決をする。この場合において、弁護士会は、当該議決に基づき、対象弁護士等を懲戒しなければならない。」(同法58条5項)。

この「懲戒委員会」の審査に基づく所属弁護士会による判断は、請求者からの異議や、懲戒を受けた弁護士からの審査請求がある場合、日弁連の懲戒委員会でも審査される。また、所属弁護士会の「綱紀委員会」が懲戒委員会に対し審査請求をしないとなった結論について、懲戒請求者が異議を出した場合、日弁連の綱紀委員会で審査され、逆転で審査請求が相当となると、所属弁護士会の「懲戒委員会」に審査請求されることもある。また、所属会・日弁連の「綱紀委員会」でいずれも審査請求しないという結論が出た場合に、更に「綱紀審査会」という会に綱紀審査の申出をすると、逆転で審査請求をせよとなることもある。

最終的に、日弁連の懲戒委員会の懲戒の結論に不服がある弁護士は、その日弁連の判断の取消を求めて、東京高等裁判所に提訴することもできる。これは、日弁連監督官庁がないことに鑑み、日弁連の判断を一種の行政処分であるとみて、東京高等裁判所に、取消の訴えを提起することができるようにしたものである(同法61条)。

ときどき、「綱紀委員会」「懲戒委員会」も、弁護士なんだから、身内に甘いのでは?との意見を聞く。しかし、「綱紀委員会」の構成員には、裁判官、検察官、学識経験者などの外部の方も含まれている(同法70条の3)。「懲戒委員会」の委員も、弁護士のほか、裁判官、検察官及び学識経験のある者の中から選ばれている(同法66条の2)。
 
既に述べたが、このように、懲戒請求には、所属弁護士会の「綱紀委員会」「懲戒委員会」、日弁連の「綱紀委員会」「懲戒委員会」「綱紀審査会」、更に東京高裁での裁判があり得るのであり、かなりの時間と労力を要する。そして、弁護士は、これらの労力について、依頼者がいない(自らが代理人ではない当事者となる。)ため、誰に対しても報酬を請求することができない。かなりの長時間、タダ働きさせられた上で、自らが身分を失う懲戒を受けるかもしれないのである。弁護士自治のため、であるが、しかし、もし懲戒の請求が不当である場合であれば、この負担を懲戒請求者にも求めたくなる気持ちそのものは、理解して貰えるだろうか。大事な制度であることは、弁護士の誰もが認めるけれども、濫用されてしまうと、かなり大変なことになるのだ。


3.北弁護士らに対する懲戒請求不法行為か? 

では、問題の北弁護士らに対する懲戒請求について、不法行為として懲戒請求者に対し損害賠償請求が認められるのか。

不法行為として損害賠償請求が認容されるには、ざっくり言うと、当該行為が権利侵害である等として違法となり、それによって損害が発生することが必要である。

法が認める権利の行使であれば、通常は適法であって違法とは言えない。弁護士に対する懲戒請求自体は、弁護士法によって認められる制度であり、「何人も」請求することが法律上できるのであって、通常は、その請求が違法になることはない。

もっとも、請求するときには、「その事由の説明を添えて」請求することができるという制度であり、上記橋下弁護士に関する最高裁判例の補足意見も、一般人からの「根拠のない懲戒請求や嫌がらせやの懲戒請求」については、「不法行為責任」が問われ得ることについては認めている。つまり、根拠のない懲戒請求や嫌がらせの懲戒請求等、権利の濫用と言われるような請求であれば、例外的に違法になることがあり得る。

ただ、上記橋下事件最高裁判決の一審被告であった橋下弁護士の行為(ちなみに、一審広島地裁では損害賠償請求が容認されている。)と、本件懲戒請求者の行為は少し違うように思われる。橋下弁護士は、テレビを通じて、懲戒請求を促したというものであって、その表現行為が不特定多数に広がったものであり、その表現行為が不当であれば名誉毀損とか、名誉毀損でなくても、人格的利益が毀損されるという違法行為を構成する可能性がある。しかし、個々の懲戒請求者は、その懲戒請求書を当事者である弁護士以外でいえば、所属弁護士会にしか見せない。懲戒請求という制度を通じて、懲戒の「事由の説明」について、当該弁護士のみならず、少なくとも綱紀委員会の委員に読まれることにはなるが、仮に、荒唐無稽な主張であれば、懲戒委員会への審査請求もされないという結論になるので、その不当な表現が知られる範囲は、ある程度限定されていることになる。

つまり、荒唐無稽な主張であっても、果たして個々の懲戒請求者が、北弁護士らの権利を侵害する違法な行為を行ったと言えるほどに、権利を濫用したと言えるかが、訴訟における1つの大きな争点になると思われる。

ただ、この点、報道による限りであるが、懲戒請求者らの「事由の説明」の内容を見ると、明らかに懲戒請求にあたらない内容が記載されていた模様だ。それが、扇動的なホームページに記載され、それを印刷して懲戒請求を大量に行う。明らかに懲戒請求に値しない内容が記載されるならば、綱紀委員会で審査請求しないという結論になるのだろうし、違法性はない、ということになるのか、それとも、違法となるのかについては、訴訟提起が違法となり得るのかどうかの裁判例と状況が類似すると思われる。というのも、訴訟も、裁判そのものは、形式的には公開される(この点は懲戒請求とは違う。もっとも、懲戒請求が認められる場合には、官報に公告されるなど、訴訟以上に広く知られる可能性がある点にも留意すべき。)ものの、実質的には、当事者間で知られるだけであるし、訴訟の提起は原則として権利の行使であるので、訴訟提起の違法性と、懲戒請求の違法性というのは、ある程度類似するからだ。

この点、最高裁のある程度確定した判例によれば「訴えの提起が相手方に対する違法な行為といえるのは,当該訴訟において提訴者の主張した権利又は法律関係が事実的,法律的根拠を欠くものである上,提訴者が,そのことを知りながら,又は通常人であれば容易にそのことを知り得たといえるのにあえて訴えを提起したなど,訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるときに限られるものと解する」とされる(最判平成22年7月9日判タ1332号47頁、なお同最判が引用するものとして、最判昭和63年1月26日民集42巻1号1頁、最判平成11年4月22日判タ1006号141頁。)。これらの最高裁判例(以下「不当訴訟最高裁判決」という。)に照らすと、客観的にも主観的にも、およそ請求が通る見込みがないのに懲戒請求するような場合は、たとえ橋下弁護士のようにテレビで表現行為を行っているような場合でなくても、違法な行為となり得るように思われる。

長文となったが、弁護士にも様々な意見があることは承知しているが、今回の北弁護士らに対する懲戒請求は、報道による限り、およそ懲戒請求者の主張した事由が根拠を欠いていて、しかもそのことについて懲戒請求者も十分知っていたと言うことができるように思われる。従って、これらの者に対する、懲戒請求は違法ではないかと考えるところである。


4.共同不法行為性と、損害論

もっとも、では、いったいどのような損害が発生したのかについては、なお議論の余地がある。仮に違法でも、損害がなければ、不法行為に基づく損害賠償請求は容認されないからだ。

第一に、橋下事件最高裁判決でも、「本件懲戒請求は,本件書式にあらかじめ記載されたほぼ同一の事実を懲戒事由とするもので,広島弁護士会綱紀委員会による事案の調査も一括して行われたというのであって,第1審原告らも,これに一括して反論をすることが可能であったことや,本件懲戒請求については,同弁護士会懲戒委員会における事案の審査は行われなかったことからすると,本件懲戒請求がされたことにより,第1審原告ら(注:←懲戒請求を受けた弁護士のこと。)に反論準備等のために一定の負担が生じたことは否定することができないとしても,その弁護士業務に多大な支障が生じたとまでいうことはできない。」として、懲戒請求を受ける弁護士の負担については、綱紀委員会による負担についての「多大な支障」を否定している。

もっとも、報道によれば、懲戒請求に関連して、「懲戒請求者は9000000000名ですからね」「外患誘致罪」と書かれた手紙を受領したり、懲戒請求の内容が、ツイッターの表現行為に言及して、それが懲戒事由だと記載されたものもあるようだ。私であれば、たとえ懲戒請求に対する対応が、綱紀委員会の審査だけで終わるとしても、日頃の業務やツイッターを含む表現行為に対し、広範な監視がされるような圧迫感を感じ、正直怖さを感じるであろう。懲戒請求そのものはやむを得ないことがあるにせよ、様々な威圧行為がある中で、およそ懲戒になり得ない事実・理由を記載さた上で懲戒請求を受けてしまったならば、少なくとも精神的に萎縮する。懲戒請求を受けた弁護士に対し、懲戒請求を超えた威圧行為がある中での理由のない懲戒請求は、制度を超えた生命身体自由に対する侵害がある可能性を感じるものであり、そのような懲戒請求であれば、人格的利益が害されたと言えるのではなかろうか。

もっとも、個々の懲戒請求者の誰がそのような威圧行為をしたかは不明である。
そうすると、個々の懲戒請求と、実際に発生した損害(人格的利益の侵害)との間に因果関係がないとなる可能性もある。例えば、懲戒請求をした人ではない人が威圧行為をしているとすれば、個別の懲戒請求者は、威圧行為によって発生した人格的利益の侵害をしていないという結果になり、やはり損害賠償請求は認められないということになり得る。
私は、もちろん事実関係が明らかにならなければ断言はできないが、本件について報道等を見る限りは、共同不法行為の理論により、その損害賠償が認められるのではないかと考える。
すなわち、報道等によると、懲戒請求は、扇動的なホームページを見た者が、その書式を使って請求している模様であり、懲戒請求の理由における同一・類似性も認められる模様であるから、これらの者の間で、いわゆる関連共同性が認められるように思われるからだ。

なお、威圧行為がなくても、懲戒請求単体でも損害は発生し得ると思われるが、上記橋下事件最高裁判決があるので、その事件では生じなかったが本件では生じた損害というのが何なのかをどのように主張立証するのは、注目してみたい。


5.おわりに

以上概観したとおり、北弁護士らに対する懲戒請求を含む一連の行為については、全体として評価すると、不法行為として損害賠償請求が認められるように思われる。弁護士に対する懲戒請求というのは、弁護士に対し身分を奪う強いサンクションを伴う請求であり、もちろん弁護士自治を保つために必要な制度ではあるものの、本件のように濫用されることを許すべきではないのではなかろうか。


おまけで。
この北弁護士らの対応に「正義」がないと仰る弁護士さんがいるようなので、一言。
私の解釈する「正義」というのは、絶対的な正しさという意味ではなく、類似の状況においても正当化されるだけの根拠(北弁護士らでなくても、同じような被害を受けた時に同じような言動をする弁護士がいたら、それは同様に対応するのが相当だろうといえるか?)と私は解したが、その趣旨であれば、あるのではなかろうか。つまり、このような懲戒請求を受けることは、弁護士であれば、誰でもあり得るところ、自分がもしこの被害を受けたら、やはり怖い。そして、制度的に、まさに弁護士自治という制度によって、我々弁護士は、誰もがこのような被害に遭う危険を負っている。弁護士自治のための懲戒制度であり、それそのものは仕方がないにせよ、権利濫用と言えるような懲戒請求についてはご遠慮いただきたい、そのために北弁護士らが敢えて戦ってくれている、そう感じている弁護士が多いからこそ、あれだけのカンパが集まるのではないか、私はそう感じている。

真の国際貢献とは何か?

 イラク戦争の時に、日本はいつも「お金」ばかりだして国際貢献をしていない、と批判された。
 しかし、では、国際貢献とは、自衛隊を海外に派遣することなのだろうか? それ以外の国際貢献は、目立たないが、そもそも戦争という異常事態をベースとして国際貢献を組み立てるのは政策として間違っているのではなかろうか。

 実は日本は、様々な場面で立派な国際貢献をしてきた。今もしている。そして、我が国が得意とする国際貢献を続けることこそ、我が国に課された責務ではなかろうか。

 我々国際的な業務をする弁護士は、契約書を外国語で起案することがある。正直私の場合、作成する契約書の半分くらいは外国語である。英語も多いが、中国語も多い。そして、もし、日本語+英語の契約書を作成するのと、日本語+中国語の契約書を作成するの、一般的にどちらが楽かと問われたならば、中国語だと答える。なぜか。それは、日本の法律概念が中国に輸出された歴史を有するため、用語が類似共通することが多いからである。

 少し歴史を振り返りたい。

 中国を揺るがしたのは、間違いなく、日清戦争(1894)での敗北であった。このとき、清朝が軍事的に近代化していなかったと思われる方もいるかもしれないが、事実は必ずしもそうではない。太平天国の乱(1850-64)、アロー号戦争(1856-60)による清朝混乱に鑑み,日本の西洋化と同様に、清朝でも「洋務運動」というのが発生し、軍事を中心とした産業の強化・西洋化が進んだ。正直、国も大きいので、技術面では日本より早く、大規模に近代化していたとも評し得るのだ。
 ただ、大きく違った点があった。制度と外交である。日本は、「大日本帝国憲法」を発布し(1889)、日清戦争の勝利(1895)により、欧米列強との不平等条約の改正を実現することができた(日英通商航海条約(1894)、日米通商航海条約(1899)。しかし、清朝には、そのような近代的な立法や制度もなく、不平等条約はそのまま残った。さすがの清朝内部でも、この日清戦争の敗戦後は、旧体制を維持したままでの改革の限界が自覚され、憲法制定・議会開設を目指す「変法運動」が展開されるようになった。
 下関条約が締結された1895年に科挙に合格した「康有為」らは、日本や西洋列強の動きを冷静に分析し、立憲君主制を目指す「変法」(戊戌の変法、ぼじゅつのへんぽう)を光緒帝に何度となく上奏し、ついに1898年6月、皇帝がこれを認めて、改革が始まった。しかし、西太后ら保守派の反発を受け、僅か3ヶ月で挫折。結果的に政治改革は行われず、その後義和団事件(1899-1901)による半植民地化を許す結果となった。
 義和団の乱終結以後、西太后は、かつて自らが失敗させた「戊戌の変法」を基本に、政治改革(光緒新政)を開始した。その際、ついに清王朝の手による立法作業がなされることとなり、日本から、少なくとも4人(岡田朝太郎(刑法)、松岡義正(民法)、小河滋次郎(監獄学)、志田𧚄太郎(商法))の学者が招待され、関与した。清朝のもとで、日本流の刑法「大清現行刑律」が現に制定され(1910)、民法刑事訴訟法等の「六法」の案文が公表されたのである(「欽定憲法大綱」(1908)、「大清商律草案」(1910)、「大清民事訴訟法律草案」(1910)等)。

 ちなみに、この時点で既に香港はイギリス領になっている。従って、香港の契約書を中文で読むと、とても読みにくい。英国流の法制度となっており、それをまず英語から中国語に訳しているため、概念の同一性がないからである。

 ただ少しだけ残念なのは、この日本流の「六法」は、ここで止まってしまった。取り組みが遅すぎたのだ。1911年、辛亥革命を迎え、中華民国が成立(1912.1.1)し、清朝がなくなってしまったからだ。
 この後、袁世凱が帝位に就く(1915)等あり、中華民国の国内政治は混乱したため、日本流の金第立法の成立・施行は、中華民国内部においてはなかなかなされなかった。
 その結果、第一次世界大戦中華民国は連合国の立場で参戦し戦勝国となったが、不平等条約の改正に至らなかったのである。
 最終的に、中華民国の「六法」が完備されたのは、いわゆる「北伐」が完了した1928年頃を待たなければならなかった。刑法と刑事訴訟法がまず1928年に制定され、その後、民法民事訴訟法、会社法が1932年頃までには整備された。なお、中華民国憲法は1946年に制定され、1947年1月1日に施行されている。
 
 清朝は終わったが、これらの立法作業に際して、清朝自体に日本から受けた法学の諸概念は残った。故に、中華民国の六法には、随所に日本と同一又は類似の概念が登場する。
 
 試しに、中国語で記載された「中華民国民法」を読んで見たら分かる。
 http://www.6law.idv.tw/6law/law/%E6%B0%91%E6%B3%95.htm

 例えば97条は「公示送達」、98条は「意思表示之解釈」、99条は「停止条件解除条件」である(繁体字を我が国の漢字に変換)。我が国の法律家であれば、ははん!と思うであろう。中国語が分からなくても漢字が分かれば、そのまま読める筈だ。

 そして、第二次世界大戦後、国民党と共産党が争い、中国大陸は確かに中華人民共和国となり、中華民国の六法は廃止されている。しかし、その後、文化大革命を経てなにもかも(ある意味)なくなってしまった中華人民共和国が近代立法を再開した1979年以後、多くの分野の法律が、日本流であった中華民国の六法を事実上参照して制定され施行された。

 試しに、1979年最初に復活して制定された、中華人民共和国刑法を読んで見て欲しい。さきほどほどではないが、ある程度読める筈だ。
 http://www.npc.gov.cn/wxzl/gongbao/2000-12/17/content_5004680.htm
 簡体字だし、社会主義だし、我が国の刑法と全く同じとは言えない。しかし、条文の配置(最初に「第一編 総則」があり、そこで犯罪や刑罰の基本に触れたのちに、「第二編 分則」がきて、個別の犯罪のカタログが記載されるスタイル)や、個別の概念(罪刑法定主義(第3条)、死刑、量刑、累犯、自首、故意、過失、未遂等)は同一又は類似である(相違も中華民国と比較すると多く見られる。例えば、死刑に執行猶予がある。しかし、そもそも「執行猶予」という概念そのものは日本流である)。


 いかがだろうか。このような立法への協力といった国際貢献辛亥革命直前になされたことが、100年以上経ったいまでも、中華人民共和国中華民国に大きな影響を与え、残っていることを理解することができるであろう。故に、いまでも、我が国の法学部・法学研究科に、中国台湾の人だけ(他の国の方もいるが、多くはこの2カ所に固まる)留学しに来るのだ。今にプラスの影響が残る国際貢献こそが、真の国際「貢献」ではなかろうか。

 なお、現在も、中国に対するかつてのそれと比すれば影響の大きさはないかもしれないが、JICAによるODAの一環として、立法支援は行われている。例えば、カンボジア民事訴訟法の起案には、我が国の法曹が関わったことが知られている。なお、中国に対するODAも長らく行われており、民事法の改正時に一定の影響を与えてきたが、現在は、強国となった中国に対する支援はけしからんという声もあって、かなり細っているのが実態だ。そのため、とは言わないが、例えば近時の立法の中には、明らかに我が国の影響ではない立法も目立つようになってきたと思う。代表例は、2007年に制定され2008年に施行された独禁法であろう。明らかにEU機能条約101条102条をベースとして規定されている。

 ・・・

 なお、こういった話を更に詳細を知りたければ、私の授業を受けるか(同志社大学法研究科「アジア法1」、京都大学法科大学院中国企業取引法」、神戸大学法科大学院「中国法」等)、弁護士業務として私になんか依頼して欲しい。ではでは!

私と枝野幸男さん

 私は、今回立憲民進党をひとりで設立した枝野幸男さんと飲みに行ったことがある。
 いつかといえば、もうずいぶん前、2000年のことだ。私が司法修習生の時に、私から飲みに誘う電話をかけたのである。

 当時、関西の司法試験合格者は、合格後、修習に行くまでの間に「関西の会」を設け、様々な自主的企画を打ち立てていた。私は、その中で「文化班」なるものに属して、色々な見学やら企画をしていた。司法修習が開始されたら埼玉県和光市で前期修習がある。修習前の関西では体験できない企画をしたい、そうだ東京といえば政治の中心だから、議員と飲もう、修習生と会ってくれる議員といえば、きっと弁護士資格のある議員だろう、ということで、いきなり議員名簿を見て電話をしたのである。

 実は、最初から枝野幸男さんがターゲットだった訳ではない。
 別の議員事務所に電話したのだが、うまくつないで貰えなかったのである。そりゃそうかもしれない。司法修習生というだけで議員に会える筈はない、そう思った。もっとも、私より司法修習で11期しか違わない枝野さんなら、もしかしたら、という思いで電話したら、あっさりと、池袋の某所での飲み会が決まり、修習仲間にも声をかけて実現した、という訳である。

 飲み会でどんな話をしたか、正直細かくは覚えていない。最後に池袋駅で、国会議員が持っている「全線乗り放題」の定期券のようなものを見せて貰ったことだけは良く覚えているのだが、苦笑。ただ、すぐ来てくれて、話を聞いてくれて、とても行動力のある方だとは思った。

 後に私より11期上の、枝野幸男さんの同期となる弁護士に聞くと、枝野幸男さんは、修習生の時から、首相になると公言していたそうだ。今回の行動が、それにつながるかどうか分からないし、1人でスタートって正直にいえばかなり厳しい船出だと思うが、私は、こうやって行動する方を尊敬する。誰だって、いつだって、始めは1人から、そしてそれを大きく育てて欲しい。

 いや、たいした類似点は私にはないが、ちょうど私も、色々な経緯で事務所を辞めてまず1人から事務所をスタートさせる決意を今年固め、実際事務所をスタートさせたので、ちょっと重なってしまうな。政治的思想も少し異なるけど、期待して見守りたい。

民進党に前原代表を解任する手はあるか?


 民進党の混迷は、見るに堪えない。国民に対する冒涜である。

 が、そのまま船が沈めばそれで良いという訳ではなかろう。このままだと、野党第一党の支持者だった方で、「希望の党」に希望を見いだせない方は、投票する場所がなくなる。
 
 では、この際、「希望の党」への合流方針を撤回し、民進党が主体的に選挙に出る、分党する党の措置を取るにはどうすれば良いか?前原代表が自らこれを行わない場合は、前原代表を解任する他にないが、これは可能だろうか。本稿では、民進党や前原代表に対する筆者の立場は別として、選挙目前となっている現状においてその可否を法律家として論じたい。


 政党も組織であるから、その代表の解任には手続が必要だ。民進党規約によると、代表の解任は次のような流れと規定されている(12条11項)。

党大会において代議員の2分の1以上の賛同がある場合は、代表解任選挙の実施を発議することができる。発議は代表当該任期中1回に限るものとする。代表解任選挙は、県連を通じて本部に登録された党員及びサポーターで日本国民である者、党籍を有する地方自治体議員、国政選挙の公認候補予定者(内定者を含む。)、並びに所属国会議員による選挙によって行う。代表解任選挙における各有権者投票権の行使方法、その他代表選挙の実施方法等については、代表選挙規則で別に定める。

 この規約を読むと、解任のためには、(i)党大会を招集し、(ii)代議員の2分の1以上の賛同を経て、(iii)代表解任選挙を発議し、(iv)代表解任選挙を実施しなければ、代表は解任されないのである。


 そして、同規約の7条4項では、「党大会は、代表が招集する。」とのみ規定され、代表代行を含む他の党員は、直接党大会を招集することが認められていない。なお、「代表は、両院議員総会が議決によって要請した場合には、45日以内に臨時党大会を招集しなければならない。」(7条7項)と規定されているが、45日を待っていたら、もはや総選挙は終わってしまう。

 つまり、現在の規約を前提とする限り、前原代表以外が党大会を招集することができないという点で、解任は不可能と言わざるを得ない。


 なんと、民主的な政党だと思っていた民進党の代表たる地位は、かくも堅く守られていたのである。これでは、前原代表の「暴挙」があっても、他の議員はついていくしかないようにも思える。


 しかし、次のような規定もある。

両院議員総会は、本規約に定める事項および常任幹事会が特に必要であると決した事項を審議し決定する。特に緊急を要するとして代表又は常任幹事会が提起した事項については、両院議員総会の議決をもって党大会の議決に代えることができる。(8条2項)

党大会は、綱領及び規約の改正、年間活動計画、予算及び決算、その他本規約に定める事項ならびに常任幹事会が特に重要であるとして決した事項を、審議し決定する。(7条2項)

 つまり、両院議員総会を招集し、党大会の決議に代えて、まず規約12条11項を改正し、両院議員総会における緊急の代表解任を認めることとし(明らかに現在「特に緊急を要する」事項であろう。)、次に両院議員総会で代表の解任を決議すれば、前原代表の民主党代表の解任も、論理的に可能、ということになる。もっとも、その提起は、代表が自らしないとなれば、規約上「常任幹事会」が行う必要がある。このメンバーの大半も前原代表が指名した者であり、通常であれば「常任幹事会」による提起はあり得ないが、両院議員総会は「常任幹事」の選出方法を決められるらしいので(9条5項)、より正確には、両院議員総会の招集→(現在の常任幹事がこれに賛成しない場合)常任幹事の入れ替え→常任幹事会の決議による党規約改正の緊急の提起→両院議員総会における党大会の決議に代える党規約改正の決議→改正後の規約に基づく解任決議、といった流れになろうか。


 ちなみに、両院議員総会の招集権者は、両院議員総会長である(8条5項)。8条全体の規定ぶりからして、8条5項(代表の要請)、6項(国会議員3分の1の要請)がなくても、その判断で招集することも可能と解されよう。両院議員総会長は、三重二区選出の中川正春氏とのことである。


 もちろん、少なくともかかる決議には、両院議員総会所属の国会議員(前衆議院議員を含むであろう。)の過半数の賛成が必要であり、民進党の近時の支持率の低下からすれば、やはり「希望の党」に合流するという前原氏の判断を支持するのが体勢のように思われるので、上述のような流れは机上の空論かもしれない。もっとも、本稿はそれが理論的に可能ということを示すものである。

7月の京都のお祭りと言えば・・・

 ぎーちです。毎日暑いですね。

 7月の京都は、本当に暑く、何もなければただの地獄ですが、そこに長く住む人達は、これを乗り切る秘けつをいくつも持っていると思います。

 その1つが祭りではないでしょうか。

 7月の京都の祭りと言えば、三大祭りの1つ、祇園祭が有名ですが、私の中では「みたらし祭」がダントツです。

 みたらし祭とは、下鴨神社http://www.shimogamo-jinja.or.jp/)が土用の丑の日の前後に社内の「みたらし池」を解放して行う足つけ神事です。祭といっても、観客はいません。全員参加です。全員が「みたらし池」につかるのです。全員参加型のお祭りって、それだけでもドキドキですよね?

 今年の「みたらし祭」は、9日間と長期だったのですが、なかなか行く機会がなく、最終の日曜日30日にやっと行けました!良かったです。


 こうやって池に入っていくのです・・・。
 膝下まで池の水につかるので、着衣や、足を拭くタオル等を準備するのがポイントです。なお、ろうそくに火をともす関係上、300円のろうそく代の準備が必要です。


 さて神事が終われば食い意地です。下鴨神社といえば、こちらも古い伝統に則って復活した「さるや」のかき氷。


 黒蜜と氷との相性抜群でおいしいです。値段が、当初の600円から700円に値上がりしてしまっているのは残念ですが・・・・。


 ちなみに「みたらし祭」ですので、一番人気は「みたらし団子」です。賀茂みたらし団子さんがお店を出してくれます。横にはふたばの豆餅さんもあります。いつもはふたばの方が大行列ですが、さすがに「みたらし祭」、みたらし団子の行列が圧倒的に長いです。



 来年も無事にみたらし祭に来たいなあ、そう思いました。
 もし皆様もまだこのお祭りを体験していないのであれば、体験してください!

 

渉外弁護士やってます。

 こんにちは(こんばんは)、藤本一郎です。

 早いもので、新しい法律事務所を立ち上げて3ヶ月が経過しようとしています。
 もちろん仲間がいるものの、まだ弁護士6名の事務所ですから、今まで弁護士60名前後の事務所にいた頃の状況と比べると、色々と違いがあります。

 一番違うなと思うのは、依頼者「以外」から見た時の視線でしょうか。従前の私も知ってくださっている依頼者は、もちろん不安もあるのでしょうけれども、今までと同じような視線で私と接してくださっているように感じます。しかし、例えば民事再生案件で債権者と接してみたりすると、これは依頼者以外の関係者ということになるのですが、弁護士法人創知法律事務所、なんて知らない!ということで、不安がられてしまったりすることがあるように感じます。これはまあ、1つずつ、実績を積み重ねていくことで、解消していくしか仕方がないですよね。

 他方、4月以後、前職時代には出張したことがなかった国に、既に3ヶ国も業務上の出張で訪問しました。また、今まで受けたことがなかった渉外業務も新たに受けたりもしています。なんちゅうか、渉外弁護士としてのフィールドは、寧ろ大きく広がってきていると感じます。全て依頼者のおかげではあるのですが、ありがたいことです。そのせいもあり、前職時代よりも忙しいのではないか、という過ごし方をしています。

 前職時代、自分の力なのか、事務所の力なのか分からず仕事をしてきた気がします。なんちゅうか、手応えがよく分かりませんでした。今は、まだ事務所に知名度も信頼も築けていませんので、自分の力で事務所に知名度や信頼が培われていくよう、頑張っています。その手応えは、悪いものではないと感じます。楽しく、一生懸命やりますので、引き続き応援を宜しくお願いします。

理系出身法科大学院生向けの奨学金の募集について


 私も理事を務めさせて頂いている一般財団法人中辻創智社では、今般あらたに、理系出身法科大学院生向けの奨学金制度を創設し、募集を開始しております。7月17日締め切りです。

 http://nakatsuji-ff.org/programs/programs2/programs2-1/

 中辻創智社は、社会と次世代を担う若者を支援することを目的として、京都大学名誉教授の中辻憲夫先生が私財をもって設立された財団です。中辻先生は、京都大学の物質細胞統合システム拠点(iCeMs)の初代拠点長として、物質(Materials)と細胞(Cells)の融合という大変難しい課題を達成するため尽力されましたが、京都大学の退職後は、ベンチャー支援、NPO支援等の事業をされる一方で、自ら財団を設立されて、様々な活動をされており、私も、いち理事として、中辻先生の活動をサポートしております。

 財団として様々な活動をしていますが、その活動の1つに、理系出身法科大学院生をサポートする目的での奨学金事業が加わりました。現在、法曹志願者が法学部卒にかなり偏っていますが、優秀な法曹を輩出するという観点からは、その母体が偏るというのは大いに問題です(法曹需要者から見た視点)。他方、理系の学問を修得し様々な能力を身につけた者の進路に限りがあるという問題もあり、そのキャリアの1つとして、法曹という選択肢は、メインコースではないものの、有力な転身先としてあり得ると考えています(理系人材の進路という視点)。中辻創智社では、約1年の議論を経て、理系出身者の法科大学院進学をチアする必要性が大きいと判断し、このような制度の創設となりました。


 大きな財団ではなく、財団の奨学金の規模としては月3万円という小さなサポートですので、これのみによって進学の不安を解消することにはならないかもしれません。しかし、法科大学院教育にかかわる私も関与しましたので、全額返還不要、卒業までではなく司法試験受験の5月までのサポートをする等、様々な点において、利用者の視点に立った制度になったのではないかと自負しております。


 よく「弁護士は食えない」報道を目にしますが、いち法曹としての実感は全く逆です。確かに、弁護士だって色々いるので、食えない人もいるかもしれません。しかし、弁護士に求められているものが多様化している中で、時代と情報についていけるかどうか、ついていける方はすごく必要とされており、そういった方を増やす必要があると感じています。世の中が多様化し、弁護士をはじめとした法曹に求められている能力も多様化しているのですから、法学部卒ではない方、特に理系出身の優秀な方にも、もっとこの法曹の世界を考えて欲しいと思っています。