鹿男あをによし 四畳半神話大系
成田空港でPEK→NRTの飛行機からNRT→LAXに乗換したときの話。
いや、乗換がスムーズでびっくりした。
飛行機降りて、5分あれば、十分次の飛行機のゲートまで行くことができる距離。
成田空港も、なかなかやるなあ、と思った。
でも、時間潰すためにネット繋ごうとしたら、成田では、1日500円徴収するんだって。
関空ならタダなのにねぇ。関空の国際線、もっと頑張れ。
さて、この5分もない道のりの途中に、結構ちゃんとした本屋さんがあったのでのぞいてみました。
今回の直木賞候補に選ばれながらも、惜しくも選を逃した2人の京大卒の作家、万城目学氏の「鹿男あをによし」と、森見登美彦氏の「四畳半神話大系」(とCanCamとMoreと女性自身)を購入。長い機内で読了しました。前者は、まさに直木賞候補となった選考作、後者は少し前の作品で選考作ではありませんが、どちらも非常に楽しく読ませて頂きました。
「鹿男あをによし」は、関東の大学で研究生をしている主人公が、担当教授から「神経衰弱」だと言われ、半ば強制的に、奈良の女子高に臨時講師の職があると言われて赴任させられ、その高校で起きる出来事のお話です。女子高の講師なんて私もやってみたいものですが(苦笑)、しかし奈良と言えば鹿、その鹿が物語の中にうまく溶け込んで、なんとも味のある作品に仕上がっていると思います。前作同様に、奈良という歴史的な街を強く意識した作風は、日本人として好感を持ちました。ちなみに、前作「鴨川ホルモー」は、若干京大関係者以外が読んだ時どうなんかな、と思われるような設定となっている場面がなくはないと思いましたが、今回は万人が読んで楽しいと思える設定だったのではないかなあと思います。
他方、「四畳半神話大系」は、「鴨川ホルモー」同様に、物語そのものが、鴨川デルタを中心とした京大生の生活領域で進むのですが、とにかくオモロイ。
「大学三回生の春までの2年間を思い返してみて、実益のあることなど何1つしていないことを断言しておこう。異性との健全な交際、学問への精進、肉体の鍛錬など、社会的有為の人材となるための布石の数々をことごとく外し、異性からの孤立、学問の放棄、肉体の衰弱化などの打たんでも良い布石をねらい澄まして打ちまくってきた」という出だしで始まる本書の出だしを読んで、ああ、おれの学生生活だ、と思えれば、もう作者のワナにハマッタようなもの。出てくる出てくる京大生にお馴染みの場面設定も、京大生ならずとも、学生生活を無駄に過ごしてしまったという自負のある読者であれば、きっとお腹を抱えて笑えるでしょう。
・・・しかし、「鴨川ホルモー」でも「四畳半神話大系」でも思ったのですが、今後ともこのような学生生活を送ることが許されるのかなあ、という素朴な疑問があります。
かつての京大というものは、授業なんかに真面目に行く奴はクズだ、と言わんばかりのものがありました。「鴨川ホルモー」も「四畳半神話大系」も、基本的には、その精神を体現したもののように感じました。授業には行かずに、いかにして、成績を維持しつつも、自分の好きなことを好きなだけやるのか、それが問われていた大学生活だったように思います。でも今は、なんかしらんけど、授業に真面目に出席して、真面目に試験を受けて真面目に成績を残すことの方がより大事な世の中になってしまったようです。
中国の大学生の生活を見ていると、やはり真面目にきちんと大学の勉強を真正面から頑張ることの大事さも、見せつけられたような気もします。彼らはホンマに、真面目によく図書館に行き、良く勉強します。たかだか数ヶ月の日本語学習で、流暢な日本語を話す日本語学科の学生を見ますと、努力の成果は決して小さく無いなあと感じます。
他方、日本の大学生は一般に勉強しないと言われるし、それは本当にマズイことのように感じるのですが、でも、中国の学生のように、クソ真面目にやるだけでも、またそれは芸がないように思います。今後、きちんと真面目に勉強する学生を輩出しつつも、「鴨川ホルモー」や「四畳半神話大系」が書ける学生が輩出されるような環境が維持される必要があるんじゃないかなあ、なーんて、読んだ後に思いました。法学部や農学部の学生が真面目に大学の勉強だけをしていて、「鴨川ホルモー」や「四畳半神話大系」のような傑作は生まれたでしょうか??もし、生まれなかったとすれば、生まれるだけの環境に、単にくそ真面目に勉強する以上の意義があったとも言い得るのではないでしょうか。