藤本大学~徒然なるままに(弁護士ぎーちのブログ)

ぎーち(弁護士藤本一郎:個人としては大阪弁護士会所属)のブログです。弁護士法人創知法律事務所(法人は、第二東京弁護士会所属)の代表社員です。東京・大阪・札幌にオフィスを持っています。また教育にも力を入れています。京都大学客員教授・同志社大学客員教授・神戸大学嘱託講師をやっています。英語・中国語・日本語が使えます。実は上場会社の役員とかもやっていますし、ビジネスロイヤーだと認識していますが、同時に、人権派でもあると思っています。要するに、熱い男のつもりです。

李莘


 李莘って誰やねん?ということかもしれませんが、南唐の最後の皇帝です(937年〜978年)。
 最後いうても、3代しか続かなかったんですが。。。


 いや実は、先週上海に出張があった時に、早朝に今までの語学の先生と朝勉強をさせて頂いて、その中で教えて頂いた彼の詞があるんですねえ。「虞美人」という、とっても有名な詞らしいのですが、私は不勉強で知りませんでした(もしくは習ったのかも知れませんがすっかり忘れています)。しかしこの最後の部分、色々と重ねると、私の思いにも通じる部分もあるので、少し紹介したいと思います。


 春花秋月何时了,
往事知多少。
小楼昨天又东风,
故国不堪回首月明中。

雕栏玉砌应犹在,
只是朱颜改。
 问君能有几多愁,
恰似一江春水向东流。


(私訳)
 春の花が咲き、秋の月が出る、そういった季節の移ろいは何時終わるのであろうか、
 過去の思い出が沢山思い出される。
 小楼に昨日また東風が吹いた、
 故国はどうして望むに堪えようか、この月明かりの中で。

 彫刻の欄干、玉の石畳は今もあるだろうに、
 只私の若き姿だけが変わってしまった。
 君に問う、どれほど多くの憂いがあろうか、
 それはあたかも長江の春の水が東に向かって流れていくようなもの(ほど尽きないもの)だ。


 この最後の部分、《问君能有几多愁,恰似一江春水向东流》の部分が、なんとも悲しく、しかし深く大きくて、とても印象的です。単に私の先生は、「付诸东流」を教えたかっただけなのですが、その方も「东流」と言えば、すぐこの詞が思い出されてしまうとのことで、この詞について教えて頂いた次第です。