母の日に思う。
もう母の日は終わりましたね。
私は、明日の裁判の調査嘱託書への回答を読み直していたら、色々思い付いたことがあって、急遽朝一で提出する予定であった準備書面やら証拠説明書を作り直しています。ええ、裁判の当日に提出するのが悪いことは分かっているのですが、日本語が理解できない依頼者のための訴訟ですと、どうしても依頼者との意思疎通に時間がかかりますので、こういうこともあるのです。この依頼者は、日本語が今ひとつで中国語でしか難しいので、準備書面を翻訳する作業なども必要になります。
しかし、改めて母の日に自分の出生について考えてみると、やっぱり1人の誕生であっても奇跡みたいなものがありますね。
私の場合、父方の父=祖父は、シベリア抑留を経て、戻ってきてから私の父の誕生、という奇跡が起きています。これがなければ私の誕生もありませんでした。また、母方の父=祖父は、昭和20年6月まで軍隊の関係で広島に居たので、8月6日に広島にいたらどうなっていたか。ご承知のように、当時35万人の広島は、12月末までに14万人が亡くなっています。
また、こう考えると、やっぱり平和っていうのが大事だなあと思います。
奇跡を妨げる第一が戦争ですよね。
生まれていることに幸せを感じて、目の前の仕事に取り組めば、眠気も辛くない?かな。