私の平和宣言
1945年8月6日午前8時15分に、人類史上初めて、核兵器が、兵器として、私の育った街、広島で使用されました。
遅くとも同年末までに、少なくとも14万人、当時の広島市の人口の20%が死亡したことが確認され、ご承知のように、その後も様々な症状で被爆者は苦しみました。
それから65年。
そして、私も今年で35歳になります。
小学校1年の時の担任の先生は、被爆された先生で、勿論年齢に応じた範囲でですが、その時の体験を語ってくれたような記憶があります。その後も、広島では、被害のことや、(当時の)冷戦のこと、核抑止論のことなどを、学んできました。
京都に出てくるとき、田舎者である私は、きっと京都大学では、日本が世界に向けてどうやって核兵器を廃絶するのか、様々な学問がおこなわれ、また学生間で青臭い議論があるに違いないと、ある種夢見ていました。しかし、一般教養の中で取った国際関係を論じるゼミでは、広島の主流説は、全く間違った議論であるかのように論じられて衝撃を受けた記憶があります。
時は流れ、私も多少現実主義者になり、また米国や中国を知り、いわゆるグローバルスタンダードは何なのかについての多少の見識もつきました。ただ、平和について様々な意見の相違があるのは理解できますが、それでも私は、核兵器を有することは、超えてはいけない線を越えることではないかという気がしています。
人生残り少ない中で、あまり力強くない、この意見を浸透させることは、至難の業でしょう。しかし、困難であるから易々と諦めて良いかといえば、これも否でしょう。私の持論ですが、人間は目標を超えることはできないと思います。困難であっても、目標を持って、少しずつ歩んでいかないといけません。
無差別・大量に、かつ長期間にわたり、人はおろか、あらゆる命を奪う核兵器は、許してはいけない、その気持ちは、平和に楽しく仲良く暮らすということの基本中の基本ではないでしょうか。その基本は、何も難しい法律や条約によって初めて成り立つのではなく、人ひとりひとりの考えの変化で、達成できるものと信じます。
難しいけど、ちょっとずつ、頑張ろう。