藤本大学~徒然なるままに(弁護士ぎーちのブログ)

ぎーち(弁護士藤本一郎:個人としては大阪弁護士会所属)のブログです。弁護士法人創知法律事務所(法人は、第二東京弁護士会所属)の代表社員です。東京・大阪・札幌にオフィスを持っています。また教育にも力を入れています。京都大学客員教授・同志社大学客員教授・神戸大学嘱託講師をやっています。英語・中国語・日本語が使えます。実は上場会社の役員とかもやっていますし、ビジネスロイヤーだと認識していますが、同時に、人権派でもあると思っています。要するに、熱い男のつもりです。

大学生の常識と私の常識


 今日、同志社大学で開催されたあるシンポジウムに行ってきた。
 会場はいつもお世話になっている法科大学院のある寒梅館であったが、主催は経済学部とのことであった。

 パンフは下記のとおり。
http://liferisk.doshisha.ac.jp/symposium_110514.pdf


 私自身、まあ、日本人であれば誰でもかもしれないが、東日本震災を間接的ながら経験し、何かと震災について考えることも多い。実際法律家として、事務所の有志で本も出した。たまには違う角度から震災を勉強してみようと思い参加した次第だ。


 ただ、残念ながら、大いなる失望を抱いてしまった。
 シンポの内容、ではない。内容については、それなりに得るものがあった。失望の対象は、そこに参加した学生の私語の酷さに、である。


 このシンポは一般向けであり、事実私を含めた一般市民が聴きに来ていたが、恐らくは、学生が動員されたか、授業の一環で感想文を書けと言われたか、多くの若い学部生らしき学生さんが、友達同士でやってきていた。そして、とにかく、シンポの内容には興味がないのか、シンポジウムの第1部(約2時間)の間、ほぼずっと、私のいた2階席の学生はずっと友達同士で喋っていた。1人や2人ではない。7,8割とは言わないが、かなり高い比率でそうだった。


 私自身、同志社大学法科大学院で講師をしているが、恥ずかしながら、同志社大学法学部には、学部の時に2度(現役、浪人)不合格になっている(因みに、京都大学法学部と慶應大学法学部には合格している)。だから、という訳ではないが、決して偏差値的には馬鹿ではない奴らなのではないかと思う。しかし、この態度は、シンポジウムの聴衆としてはどうだろう。


 ある公的な場所で、お喋りをすること。これが許されているかいないか、微妙な場合もあり得る。カフェや新幹線の中など、静かにしていたい人もいるが、お喋りしたい人が喋っていけない場、という訳ではない。カフェや新幹線の中でどうやって過ごしたいかは人によりまちまちだ。多少の会話の声や、パソコンの音、音楽の音は、嫌だなと思う場合でも、そういう多様な目的、欲求がありえることを前提として、場合によっては、むしろ受忍するのが筋であるかもしれない。なんとなく日本で決まっているのは、電話の音声通話だけはアウトだということであるが、これも国外、例えば中国では問題にならないし、決定的ではない。


 しかしだ、言うまでもないが、講演会とかシンポジウムは、皆が壇上の話を聞きに来ているのである。カフェや新幹線の中と異なり、皆同じ目的で来ているのが筋である。そんな中で、非常に多くの同志社大学の学生が、私語をし続けた。時には、壇上の声が聞こえない位の時もあった。


 ついに2時間経って耐えきれなかったので、私も休憩時間に入るや否や、もっともうるさかった奴らに注意してしまった(苦笑)。こういう行為をするべきか否かは、私も迷った。注意した側が嫌な思いをすることになるのは明らかだったからだ。ただ、同志社の関係者になった以上は、やはり誰かがはっきり言うべきだろうと思って注意した。


 そのせいか、第2部のパネルディスカッションでは、学生たちは比較的黙って聞いていた。


・・・

 正直、こういう姿を見せつけられると、例えば経営者や人事担当者であれば、この大学の学生は、少なくとも雇用はしたくないと思うだろう。学生は、学内だからのんびりしているのかもしれないが、外からも沢山の人が来ているのだから、自分たち一人一人が、同志社大学を代表している、何かあれば、Aさんが、ではなく、同志社の学生が・・・ということになることを分かっていないのだろうか。


 昨今の就職難も、こういう学生が来てしまうなら、さもありなんという感じが、正直した。


・・・

 また、主催者も、学生がうるさくしていたことは認識していた筈だし、私はまさか同志社の学生がこんなに私語が多いなんて知らなかったが、学内の主催者であれば予見もできただろうから、映画館で最初にやるような、私語に関する注意を最初に行うくらいはできただろう。いかにして原発やその後の経済を制御すべきかを議論しても、自分たちの学生だに制御できないとすれば、恐らくその議論に説得力はない筈である。


 再度考えて、もしかしたら、同志社では、少なくとも経済学部では、この体たらくが常態化していて、先生方も気にならなかったのではないか、という気もしてきた。仮にそうだとしたら、大学側も病的である。



 とにかく、今回参加してみて、思いもかけず学生の生態を学ぶことができた。日本の復興のためにも、こういう学生をこのまま放置することのない世の中にしなければまずい。同志社法科大学院の、非常勤講師というしがない立場ではあるし、私の本業はあくまで実務家としての弁護士であるから、できることは限られているかもしれないが、こんな同志社を放置してはいけないだろう。新島襄先生が泣いているよ。