司法試験ネタ(実話)


 いよいよ水曜日から、日本では司法試験が始まるようです。
 余り偉そうに語っても仕方無いので、僕の司法試験を少し振り返って、役に立つかもしれない話しを書きたいと思います。


【択一】

 今の司法試験と異なり、当時(1999年)の司法試験は、5月に択一試験があり、合格者のみ7月に論文試験を受験することができ、その合格者のみ10月の口述試験を受験することができるという仕組みでした。択一試験は、60問3時間30分で、憲民刑から各20問出題されました。合格点は、だいたい40点台前半で、合格者数は、だいたい論文合格者数の5倍くらいになるように調整されていたと思います。なお、今と異なり、択一は足切りにのみ使われるので、高得点で合格したからといって論文での不足を補うことはできませんでした。

 僕が司法試験の勉強をホンキでやり始めたのがいつのことか、正確には分かりませんが、3回生の終わり位からちゃんと勉強をし始めたと思います。4回生(1998年)の時の5月に初めて択一を受験しましたが、落ちました。まあ勉強不足であることは分かっていましたが、ただ、合格点から1点足りないだけだったので自信がつき、この4回生の年は本当によく勉強したと思います。

 翌年5回生になり(当時の京都大学では、4年で卒業するのは僅か3割でした・・・休学や留年で12回生までなれました・・・。)、択一前の模擬試験とかは、50点台を連発していて、まず間違えなく択一は合格できるという自信を持っていました。その結果、不用意な発言を連発し、模擬試験会場で友人(ふみよ)を泣かせるというデリカシーのなさを発揮。ただ、択一はできるという自信を持ったのが裏目に出たのが本番でした。

 当時60問を、僕は早く解ける順に、民法、刑法、憲法の順番で解いていたのですが、僕にとっての30問目か31問目(つまり全体の50問目か51問目)は、執行猶予のマニアックな問題でした。僕は当時、模擬試験でたまたまケアレスで間違えることはあっても、問題を読んでも択一で答えが分からないということがなかったので、ちゃんと考えれば分かる筈と思って問題を読み直したのですが、それでも答えが分かりません。これが前年の僕であれば、そんな問題飛ばして出来る問題をしよう!となっただろうと思うのですが、この年の僕は「やればできる、必ずできる」と思っていたので、何度も考えてしまいこの1問に10分以上を使ってしまいます。結果、すごく焦ってしまい、この問題までの約30問は1問しか間違っていないのに、残りの約30問は半分を間違うことになりました。結局、合格点ギリギリで合格はしたものの、下手な自信過剰が死を招き兼ねないことを実感したのです。


【論文】

 当時、7月の論文試験は京都で行われていました。僕の受験した年の前々年位までは京都大学で論文試験は行われていたのですが、京大で論文が実施された最終年に、「カエルの歌輪唱事件」が発生します。僕と同年代か少し上の方はご記憶になると思いますが、なんと試験会場の外で試験実施中に、何者かが「カエルの歌」を輪唱して、受験生の頭を悩ますという事件が発生したのです。犯人は不明ですが、この翌年から、司法試験は「クーラーが京大では十分に準備できない」という理由で同志社今出川校舎)に変更されました。同志社で試験が実施された数年間(後に京都での試験はなくなり、大阪に移行しました)、この種の事件は発生しなかったと聞いています。

 さて、僕は論文初受験でしたので、択一と異なり、あまり自信はありませんでした。そもそも予備校にも模擬試験以外行っていなかった僕は、サークルの仲間以外受験生を殆どしらなかったので、どのレベルを書いたら合格するのか、全く分かりませんでした。

 ところで、試験会場の同志社まで、当時の我が家(ひらがな館のあたり)から歩くには遠かったですが、自転車なら10分かからない位の距離でしたので、僕は当日、自転車で試験会場まで行くことにしました。上述のとおり不安だった僕は、カバンに一杯一杯になるまで、各種参考書を詰め込みました。論文初日、外は雨でした。僕は傘を差しながら自転車にまたがります。そのとき、


 ガシャーン


 またがった瞬間にこけました。。。。

 ええ、派手にやりまして、自転車パンク、服とズボンはびしょびしょ。傘も大破でした。


 ただ、緊張は一気に解けまして「あ、もうええわ。受験だけできたらええやん」みたいな気分になりました。

 僕は着替えて、軽くシャワーを浴び、受験票と筆記用具、あとは六法かな、最小限のモノだけを抱えて、気楽にタクシーで試験会場に向かったのでした。


 取りあえず、知識量にも不安があった僕の作戦は、全ページ全行(記憶が正しければ当時は4頁88行)、埋めてやろうと考えて、実際12問のうち11問はそうしたと思います。点数は当時公表されませんから何点だったかは知りませんが、とにかく、自信はなかったし、不安はありましたが、リラックスして、やりきった、書ききった感はありました。


 試験が終わって同志社の試験会場から出ようとしているとき、外で先輩(金さん)から声をかけて貰ったのがすごく印象的でした。

「ぎーち、その顔は受かってるで」

・・・みたいな、まあ、普通にいま書いてしまえば何ともないことなのですが、どきっとしたと同時に、自分の満足感がどこかで証明されたみたいで、嬉しかったのを覚えています。

 実際、試験が終わってから、合格発表までの長い時間を、受かっていることを前提として過ごすか、落ちていることを前提として過ごすかは、色々な意味で変わってくると思います。僕は、自信はそこまでなかったけれども、受かったことを前提として口述ゼミとかを組んだりして、サークル外の人と勉強できたりしたのは、勉強になったし楽しかったし、何より、ただ暑いだけの京都の夏を前向きに生きることができたように思います。


【米国】

 結局1999年の司法試験に合格して、2001年から弁護士をする訳ですが、縁あって米国に留学し、2006年7月にはニューヨーク州司法試験、2007年2月にはカリフォルニア州司法試験を受験するハメになりました。ええ、勿論自分で決めたことですが。

 米国の司法試験は、はっきり言えば日本とは比較にならないほど稚拙で簡単です。択一は問題を使い回すし(故に問題は一部を除き非公開)、論文も、論点(Issue)をちゃんと捉えていれば、自説(Rule)が実際の法律と違っていたり、間違っていても、その後のあてはめ(Application)がしっかりしていれば、十分な部分点を貰うことができます。更に所謂教科の問題(憲法とか、契約法とか)だけではなく、全く架空の法律と事実を前提としたPractical Testという問題もあります(僕はいまある法律事務所のアソシエイトで、ボスがランチに出かけたんだけど、この資料を読んで意見書書いて、みたいな)。カリフォルニアでは、今は分かりませんが当時はこのPTの配点が高く(というのも、PTはカリフォルニアで開発された試験なのです)、全3日間のうち丸々1日6時間を費やします。

 つまり、細かい法的知識は何ら要求されないのです。それでも米国の弁護士は偉そうに世界で君臨しています。僕は、日本の弁護士さんがよく「最近の若いものの質が・・・」と言うのを聞いて違和感を感じる原因の1つが、ここにあると言って良いと思います。そんな細かい知識は、暗記して試験で問わなくても、六法や判例を見ながらでも良いと思うのです。


 閑話休題。僕は当時、カリフォルニア州ロサンゼルス市に住んでいたので、ニューヨーク州司法試験を受験するのは一苦労でした。というのも、試験会場は、当然ながらニューヨーク州(州都オールバニー)にあるのですが、まず、カリフォルニアとは3時間の時差がある。試験は朝9時から始まりますが、それはカリフォルニアの朝6時。時差対策として、僕は試験前3週間くらいから、夜は9時か10時に寝て、朝は4時に起きることに決めました。しかし、試験前3週間といえば、まだ詰め込みの時期。ニューヨーク州司法試験は卒業から勉強を始めて、受験まで2ヶ月程度しか勉強をしないので、まだまだ勉強の中盤です。少しでも勉強量を増やしたい。でも9時か10時に寝たら・・・4時なんかに起きずに、気持ち良く6時位まで眠ってしまい、結局勉強量は十分に確保できず、焦りました。なお、当時の僕の生の感想はこちら(NY州:http://www.fujimotoichiro.com/law/barexam.htm、CA州:http://www.fujimotoichiro.com/law/calbar.htm)で(ちょっと偉そうで恥ずかしいですが・・・受験直後は困難を突破したと思いたいんでしょうね・・・)。今思うと、時差調整なんてできっこなかったなあと思う一方で、しかし良く寝たので、疲れがなかったし、体調を崩さなかったのは良かったなあと思いました。直前に体調を崩したらなんにもならないからね。

 ところで、試験を受けるにはニューヨーク州の州都オールバニーまで行かなければなりませんでした。アメリカに住み始めて1年でしたが、飛行機でアメリカ国内を移動するのは初めて。ロサンゼルス国際空港に行くと、自分が乗ろうとしていた飛行機は、何とキャンセル!機材不良で飛ばないそうです。遅れとかではなくてキャンセルと聞いて焦りました。この時、まだ中国語のできない僕でしたが、一緒に台湾の子と便を合わせて飛行機に乗る筈でしたので、2人でカウンターに行ったところ、1席だけシカゴ経由でアルバニーに行ける席があるというので、僕は焦る気持ちを抑えてその子に席を譲りました。確か、意味もなく、東海岸にいた乙部に、何とかしろ!と電話したのを覚えています。

 もともと、シカゴで乗り換えてオールバニーに行く筈でしたが、色々聞いていると、夜にJFケネディー国際空港(ニューヨーク市)に着く飛行機なら取れるということでしたので、JFKまで飛んで、そこからはアムトラック(鉄道)でオールバニーを目指すことにしたのですが、着いたら午前1時は過ぎていたと思います。


 こんな感じでしたから、ニューヨーク州司法試験も、「受けられただけ幸せ」と思い、またまたリラックスして受けました。試験に落ちても死ぬ訳ちゃうしね。日本の試験とは比べものにならない程簡易な試験(ニューヨーク州は2日間)でしたが、とにかく受かっていました。


【おわりに】

 要するに、僕の限られた経験からして、司法試験というものは、まず受けられること、試験会場でちゃんとした椅子と机に座って、ちゃんとした筆記用具を使って、その舞台で試験を解くという演技を演じられること自体が、素晴らしいことで、1つ間違えば、それすら危うい中で僕らは生活しているということを言いたかったのです。

 下手な文書故に伝わらなかったかもしれませんが、受験される皆さん、無事に試験会場に着いて、受験できるなら、その瞬間、「受験できる幸せ」とかみしめて頂き、焦ったりじたばしたりせずに、あとは精一杯頑張って貰えるなら、幸いです。

 司法試験を受けていた頃は、これが人生最大の難関だと思っていましたが、後から振り返ると、そんなことはありませんでした。余り自分の中で、勝手な強敵にすることなく、自然体で臨んだ方が、ええと思います。