藤本大学~徒然なるままに(弁護士ぎーちのブログ)

ぎーち(弁護士藤本一郎:個人としては大阪弁護士会所属)のブログです。弁護士法人創知法律事務所(法人は、第二東京弁護士会所属)の代表社員です。東京・大阪・札幌にオフィスを持っています。また教育にも力を入れています。京都大学客員教授・同志社大学客員教授・神戸大学嘱託講師をやっています。英語・中国語・日本語が使えます。実は上場会社の役員とかもやっていますし、ビジネスロイヤーだと認識していますが、同時に、人権派でもあると思っています。要するに、熱い男のつもりです。

原爆の日

ぎーちです。

明日は、8月6日。75年前の1945年8月6日午前8時15分、原子爆弾が広島上空に投下されました。当時、40万人都市であった広島でしたが、少なくとも14万人の方が命を落とされたとされています。

例年であれば、犠牲となった方のご冥福を祈り、また、今後同じような惨禍が繰り返されないようにするための決意をしに、平和記念式典に一般出席するのですが、新型コロナウイルス感染症の蔓延に伴い、今年は、一般出席はできないことになってしまいました。広島人からすれば、私が広島に近づくこと自体が、新型コロナウイルス感染症の蔓延につながるように見えるかもしれませんし、今年は、何十年かぶりに、広島に8月6日に立ち寄らずに、お祈りをしたいと思っています。

私は、広島出身です。最初に通っていた広島市立仁保小学校には、当時は、まだ被ばくした木造校舎が学校の西側、コンクリート4階建ての校舎と体育館をつなぐ通路のような形で存在していました。しかし、転校後だったと思いますが、建替となり、なくなってしまいました。最近、広島・本通のパン屋さん「アンデルセン」(東京駅の丸の内側ラチ内にもありますよね)の本店、ここも被ばく建物でしたが、綺麗になり、被ばくしたとは感じさせない感じになったと聞いています。75年前の出来事ですので、徐々に被害を物語るものが少なくなり、また、被爆者も高齢化して、被ばくの実態が分かりづらくなっていると感じます。しかし、核兵器そのものは、なくなるどころか、核抑止論なる理屈と共にいまも存在し、寧ろ北朝鮮などいくつかの国が拡張・拡散しようとしています。

僕の人生目標は、核兵器の廃絶です。もう人生半分過ぎてしまって、果たして達成されるか、また、核兵器の廃絶のためになる行動をしているのか、色々クエスチョンマークが頭を回る日も少なくないのですが、また、僕は政治家でもなく、できることに限りもあるとは思いますが、こんな危険なものと一緒に人間が生きて行くのは、容易ではなく、そして万一の危険が極めて大きいことから、廃絶することについて万人にメリットがあると信じています。身近なことから、核兵器の廃絶の必要性を訴え、また、学んで行くことを通じて、一歩一歩核廃絶は実現していく筈です。

近時、アメリカの世論調査で、核兵器は必要ないというアメリカ人が7割だったというニュースを耳にしました(下記参照)。

www3.nhk.or.jpこういう変化も、少しずつ起きていることではないかと思います。

8月6日というのは、そういう核兵器のことについて考える良い機会だと思います。皆で少しずつ、核兵器の廃絶を進めていけるのではないか、そう思っています。

京都大学法科大学院の試験実施方法変更について

ぎーちです。

私が教えている京都大学法科大学院の期末試験、明日から対面試験方式で実施の予定でしたが、本日さきほど、オンライン試験での実施と変更されました。

最終的に、何故オンライン試験になったかについて、客員教授でしかない、つまり教授会のメンバーではない私には、分かりません。

ただ、私が知っていて、特に公表しても問題ないと思われる限りのことを述べると、この数日、100名を超える学生が大学に対して客観的、冷静な対面試験方式反対の意見を表明したということを挙げることができると思います。

客員教授でしかない私のもとにも、直接面識があるか否かに拘わらず、何名もの学生から、大学側に提出する意見についてのドラフトのチェック、結果的にどうなるかは別として、自分達の考えを聞いて欲しいとの接触がありました。私自身も多少のことをしましたが、結果的に、学生が大学を動かしたということだと思います。

オンライン試験に変更されるということは、教科書などを参照しながら試験の解答をすることができるということになります。対面式であれば、できない調べ物をすることができるということで、学生間において、試験方式の変更により試験結果に有利・不利が出ると思います。京都大学法科大学院の成績は、厳格に採点されます。A+なのか、Aなのか、その差が気になる学生も少なくないと思います。よって、自らの得意・不得意を考慮すれば、オンライン試験よりも、対面試験方式の方が良いと考えた学生も少なくは無かったと思います。しかし、新型コロナウイルス感染症の蔓延状況に鑑み、どこまで対策をすれば「安全」なのか客観的には分からないという状況の中で、多くの学生が「不安」のまま、つまり、主観的「安心」が確保されないまま実施されるよりは、客観的にも主観的にも「安全」「安心」な状態でオンライン試験が実施される方が、全ての学生に対して相対的にフェアではないか、そう思います。故に、対面試験方式を望む学生からすれば、不利益もあるでしょうが、ここは、それを上回る利益のために甘受して貰えたら良いなあと思います。

この小さな、試験実施方法の変更も、私の「新型コロナウイルス感染症」との戦いの1つとなった気がしますので、ここに記録しておきます。

GoToトラベル事業を差し止める裁判について

ぎーちです。

今日2020年7月22日は、「GoToトラベル事業」の開始日です。残念ながら、GoToトラベル事業は、始まってしまいました。

 

1.裁判に関する事実経過

私は、7月22日が「GoToトラベル事業」の開始日であるということを、7月10日の金曜日の夜に知りました。国土交通大臣の会見のあった日のニュースで、です。

別の箇所でも述べていますが、僕は今でも、この「GoToトラベル事業」を「いま」行うことは、明らかな誤りだと思っています。思っているので、裁判で差し止めませんか?という呼びかけをさせて貰いました。

 

結果、「勇気ある」債権者3名と共に、民事保全という手続を使って、東京地裁に対し、7月16日、「GoToトラベル事業」の差止を求める裁判を申し立てました。

主張の内容は、こうです。

「GoToトラベル事業」は、「新型コロナウイルス感染症の収束後」に行うということが明示されて、予算が国会を通りました。しかし、新型コロナウイルス感染症の現状は、収束からはほど遠く、旅行が促進されると、債権者らの生命・身体・健康など、人格的生存権が侵害されてしまう、これを後から正式裁判で争っていては、取り返しのつかない結果となるから、「いま」止める必要がある、と。

しかし、東京地裁は、7月20日、「GoToトラベル事業」(本件事業)によって、『国内における人の移動が現状よりも活発になることは否定できない』ものの、『個人及び事業者等において、いわゆる三密の回避など感染防止対策の実施が推奨され』、『本件事業は、観光等の需要喚起を目的とするものにすぎず、旅行することを強制しているものではない』、『現在の感染状況やそれを取り巻く環境等に鑑み、旅行を差し控える者も一定程度存在すると考えられる』ことや、観光業者等も対策を講じるから、『現在の状況と比べて、直ちに債権者らが主張するような生命、身体及び健康という重大な保護法益が現に侵害され又は侵害される具体的な危険が生じるとはいえない』として、この申立を却下するという決定を行いました。

 

翌21日(といっても昨日のことですが)、債権者3名の方と協議の上、即時抗告の申立を東京高等裁判所に対し行いました。

そして、今日7月22日、東京高等裁判所も、以下のように述べ、私たちの即時抗告を棄却するという決定を行いました。

 現在,我が国においては,国内における移動についての法的な制限がないため,本件事業とは無関係に国内を移動する者(例えば,本件事業を利用せずに旅行する者,業務目的で国内を移動する者など)が一定数存在することは避けられないところである。そのような状況も踏まえて,個人及び事業者等において,いわゆる三つの密(密閉空間,密集場所,密接場面)の回避などの感染防止対策の実施が推奨されている上,観光事業に携わる交通機関,宿泊施設や飲食店等においても,新型コロナウイルス感染症の感染者が生じた場合には,事業に対して大きな悪影響が生ずる恐れがあることから,可能な限りの感染防止対策を講ずるものと考えられる。そして,本件事業が開始されても,感染状況の推移やこれを取り巻く環境等に鑑み,旅行を差し控える者も相当程度存在すると考えられる。

 以上の点を考慮すれば,本件事業が開始されたからといって,これによって,直ちに抗告人らの生命,身体及び健康が侵害され,又は侵害される具体的危険が生じるとまでは認められない。

 

2.いま思うこと

そもそも、「GoToトラベル事業」は、国会における第一次補正予算を通過したものであり、これを行政が執行しているのですから、司法が口出しをするのも、例外であるべきというのも分かります。しかし、「GoToトラベル事業」は、収束後にされると決まっていました。現在の感染状況、新型コロナウイルス感染症の危険性その他、諸々の状況に照らすと、例外的に、司法が口出しすることが許されるのではないか、それくらい、皆の生命・身体・健康に危険が迫っているのではないか、そういう思いでこの裁判を始めた訳ですが、東京地裁及び東京高裁の論理に従えば、例えば、「可能な限りの感染防止対策を講ずるものと考えられ」る観光業者の行う感染症対策が効果を出さなかった場合など、東京地裁・東京高裁の想定する状況とは異なる状況が生じれば、将来、生命、身体及び健康に対する具体的な危険性が生じ、再度の申立については、差止が認められることもあるかもしれません。何より、本当に危ない状況が生じれば、裁判所が場合によっては、人格的生存権によって、特定の政策を止める可能性があることが明らかになったことそのものは、1つの成果ではないかと思います。

勿論、私たちの心配が杞憂となり、「GoToトラベル事業」の実施にも拘わらず、感染が広がらなかった、具体的危険が生じなかった、というのが、理想です。是非とも、そうであって欲しいです。

他方、様々な制約の中で、3名の方が、申立をしようと思って下さったことにも感謝しています。それぞれ、人は、様々な制約の中で生きています。私から誘ってしまうと、断りづらくなるのではないか、そう考えて、私からは、誰に対しても、個別にこちらから働きかけしませんでした。そのような働きかけなしに集まって下さった方々です。うち2名の方には、事前の面識もありませんでした。3名の方が、私の裁判戦略・戦術に満足したか否かは不明ですが、一応、やるべきことはやったのではないかと思っています。

直近では、日々、感染状況が悪化しています。「GoToトラベル事業」差止のための第二の保全事件、すぐに始めなければならない状況に、ならなければ、良いのですが・・・。

 

Gotoトラベル事業をこのまま許して良いのだろうか?今こそ司法の力で、疑問を提起するべきではないか?

ぎーち(弁護士の藤本一郎)です。

GoToトラベル事業、ってご存じですか?

観光庁のHPに説明がありますが、要するに、旅行代金の半額を補助しようとする政策です。

この「Gotoキャンペーン」には、5つの事業があるのですが、その総予算規模は、1兆7000億円、Gotoトラベル事業だけでも1兆3000億円と、巨額です。

その目的は、次のように説明されました(補正予算資料の3頁目をご覧下さい)。

新型コロナウイルスの感染拡大は、観光需要の低迷や、外出の自粛等の影響により、地域の多様な産業に対し甚大な被害を与えている。

このため、新型コロナウイルス感染症の流行収束後には、日本国内における人の流れと街のにぎわいを創り出し、地域を再活性化するための需要喚起が必要。

(まずは、感染防止を徹底し、雇用の維持と事業の継続を最優先に取り組むとともに、)今回の感染症の流行収束後において、甚大な影響を受けている観光・運輸業、飲食業、イベント・エンターテイメント業などを対象とし、期間を限定した官民一体型の需要喚起キャンペーンを講じる。

なるほど、「流行収束後」に、需要喚起キャンペーンをすることは、結構だと思います。私も、温泉行きたいし、旅行行きたいです。

 

では、新型コロナウイルス感染症の「流行収束」はしたのでしょうか。新規感染者数を見て見ましょう。

 

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感染者数の推移(全国)

どうでしょうか?どう見ても、第二波が押し寄せていると感じませんか?上記は、全国ですが、これを東京都に絞ると更に明確になります。

 

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感染者数の推移(東京都)

東京都においては、7月9日の新規感染者数が224名、7月10日の新規感染者数が243名と、緊急事態宣言の発令されていた期間の1日あたりの最多数であった4月17日の206名を超える日が2日連続で発生しており、7月10日迄の7日間平均の新規感染者数も142名にも達しています。

 

緊急事態宣言の解除の際に、解除や再発令の目安として、以下のようなものが説明されました(「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」ご参照)。

以下の3点に特に着目した上で、総合的に判断することとしている。

① 感染の状況(疫学的状況)

オーバーシュートの兆候は見られず、クラスター対策が十分に実施可能な水準の新規報告数であるか否か。(例えば、直近1週間の累積報告数が10万人あたり0.5人未満であるか否か。)

② 医療提供体制

感染者、特に重症者が増えた場合でも、十分に対応できる医療提供体制が整えられているか否か。(例えば、重症者数が持続的に減少しており、病床の状況に加え、都道府県新型コロナウイルス対策調整本部等により患者急増に対応可能な体制が確保されているか否か。)

③ 監視体制

 感染が拡大する傾向を早期に発見し、直ちに対応するための体制が整えられているか否か。(例えば、医師が必要とするPCR検査等が遅滞なく行える体制が整備されているか否か。)

このうち、10万人あたりの1週間の新規感染者数(=累積感染者数)が0.5人未満か否かについて、仮に東京都の人口(約1400万人)を基準に考えるならば1週間あたりの新規感染者数が70名未満か否かで判断することになります。

かかる基準に照らせば、少なくとも東京都は、1週間平均が、この70名の倍の140名を超えている訳ですから、再度緊急事態宣言を行う必要がある感染状況にあると言い得ると思いますが、いかがでしょうか?

 

このような状況ですが、政府は、7月10日、このGotoトラベル事業を7月22日から開始すると宣言しました。流行収束後、ということで、予算を通したのですよね?しかし、流行は収束していないと思いませんか?

先述した「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」においても、

国民の生命を守るためには,感染者数を抑えること及び医療提供体制や社会機能を維持することが重要(1頁)

肺炎の発生頻度が,季節性インフルエンザにかかった場合に比して相当程度高く,国民の生命及び健康に著しく重大な被害を与えるおそれがある全国的かつ急速なまん延により国民生活及び国民経済に甚大な影響を及ぼすおそれがある(2頁)

と明記されています。新型コロナウイルス感染症が収束した後にお金を使って支援するのは良いと思いますが、このような状況で、1兆3000億円の予算を使って、国民の生命を害してもいいのでしょうか?

 

本来、このような政策は、政治の役割です。国家予算は、国会で決めます。行政は、決まった予算を執行します。しかし、「流行収束後」に使うといった予算を、「流行収束前」に大規模に執行するのは、行政の裁量権の逸脱・濫用にあたるのではないでしょうか?

 

このような観点から、私は、この予算の執行について、行政訴訟又は民事訴訟で差止をすることを検討しています。行政訴訟については、法的には、恐らく取消訴訟+執行停止申立が一番整合するとは思いますが、行政処分性があるものは一体何なのか、つまりは、取消の対象は何かが非常に悩ましいです。民事訴訟については、国民個人の人格権侵害(生命・身体に対する侵害等)を訴えるやり方を考えています。ただ、7月22日に執行が予定されていますので、保全手続(仮処分)が良いと思います。現時点では、まだ決めていませんが、とにかく、待っていたら7月22日が来てしまいますので、数日以内に確定して、やりたいと思います。

訴訟の目的は、勿論、そのような予算措置を差し止めることですが、最終的には、仮に裁判に勝たなくても、このような運動を通じて、国民の危機感が政府に伝わり、Gotoトラベル事業の開始が延期されるというものでも良いと思っています。つまり、裁判は、Gotoトラベル事業の開始を延ばすための一手段だと考えています。勝訴を保証することはできません。厳しい道だと思います。

 

なお、これを政治的に反映したいという思いはありますが、これで自民党をやっつけたいとか、立憲民主党共産党に加担したいという思いはありません。私は、ただただ、国民の安心・安全が確保され、皆が新型コロナウイルス感染症にかからず、健康に過ごせるようになれば、それで良いのです。

勿論、私も経営者ですから、経済が回らないことはとても困ります。私自身、5月6月については、経営する法律事務所の売上に打撃を受けました。私自身、経営者として、この売上を回復するために色々と頑張っています。しかし、それとは別に、いち国民として、このような国民の安心・安全をないがしろにする政策はまずい!という本能から、この文書を書いています。政府も、いまの経済対策は、これ以外で頑張るべきだと思います。

 

そこでお願いがあります。

第1に、私は弁護士であって訴訟代理人になることはできますが、原告本人になることは難しいです。原告になっても良いという方、下記フォームから、申込をして頂けませんか。なお、実費としての費用がかかります(はっきりしませんが、3万円程度はかかると思います)。ただし、もし保全に成功した場合には、担保を積まなければいけないので、その点は、もしうまくいった場合には、考えないといけません。

docs.google.com第2に、一緒に考えて行動してくれる弁護士さん、いませんか?

勿論、上記のとおり、実費程度でやるつもりですので、弁護士の売上にはなりません。また、もしも原告が多数登場したら、色々やらないといけませんが、私1人ではやれません。

docs.google.com原告と一緒にやってくれる弁護士が現れたら、私も頑張ります。

誰もいなかったら、ごめんなさい、書いただけで、何も行動できないかも、しれません。

私としては、私を励まして、一緒に戦ってくれる原告候補・弁護士が沢山あつまると嬉しいです。是非Zoomか何かで打ち合わせしましょう!

なお、うまく送れない場合は、twitter ifujimoto で連絡を頂くのでも構いません。

 

以上よろしくお願いします。

お久しぶりです。

ぎーちです。

久しぶりに、個人的なものを書いてみたいと思います。

最近の私は、法律事務所の経営者であり、また大学で講義をする者ですが、この非常時の対応に奔走しているというのが、実態です。法律事務所の経営者としては、派手にお金を使ってこなかったこともあり、直ちに資金繰りに心配がある訳ではないのですが、これが1年、2年になったときに一抹の不安があります。ですが、私としては、新型コロナを理由として人を解雇するようなことだけはしないようにしようと心に決めて、とにかく、できる仕事を一生懸命やっていこうと思っています。7都府県の訴訟は止まっていますが、保全や執行は動いていますし、他道府県の訴訟は動いています。打ち合わせもWeb会議で可能ですし。ただ、自宅にいる時間が長くなると、良い面も勿論あるのですが、仕事に関してはかえって疲れる面もありますね・・・。

授業の方は、私の場合3箇所の大学院で教えていることもあり、大学によって対応が分かれていることもあり、色々と難しい問題がありますが、先般同志社大学法科大学院でZoom授業をやりました。会議でZoomは良く使っていましたが、授業は初めてでした。でも、思ったよりスムーズに出来た気はしています。

まあ、ホント非常時ですが、できることを1つずつ、やっていかないといかんですよね。頑張ります、頑張りましょう!

京都大学「立看板」騒動の行方と処方箋

 京都大学界隈では、いま「立看板」問題が熱い。京都大学の卒業生として、地域住民として、また非常勤講師として、またまた弁護士として、私もこの問題に強い関心を抱いている。まずは、事実経過と問題の所在を追い、私なりに考える解決策を論じていきたい。


第1 ここまでの経緯

 そもそも京都大学における立看板とは、京都大学の周辺に存在する「石垣」に、学生サークル等の諸活動を広く宣伝するために置かれる看板である。様々な方が様々な看板を作って置いている。時にサークル活動というよりは、政治的な内容となることもある。





 私が大学に入学した1995年には既に存在していたし、恐らくその何十年前から、学生らの「表現」の一環としてずっと存在してきた。

 立看板は、内容の政治性や大学当局批判的なものがあることもあってか、(時の政権与党や大学当局の中には)これを嫌う人がいてもおかしくはないとも感じたが、恐らく京都大学の学生や地域住民にとっては、それもこれも含めて、風景の一部になっていたと思う。なんというか、この表現内容で嫌だと思うやつがいるとすれば、それはとても肝っ玉の小さいやつだなあと、私は感じていた。

 私が知る限り、最初に立看板が存続の危機を迎えたのは、2004年である。京都大学が、立看板の主要な置き場である、百万遍交差点に存在する石垣を歩道の整備を目的として撤去することを表明したからである。このとき、石垣が撤去されてしまうと、立看板を立てるための支えとなる場所がなくなるため、立看板が百万遍交差点において立てられなくなるのだ。そこで、立看板を守ろうとする学生が、この百万遍交差点付近の石垣の上に「石垣カフェ」と呼ばれるカフェを設置し、後に「いしがき寮」も建設して実力で百万遍交差点付近の石垣を占拠した。この時、大学側は、2005年5月頃から学生との協議に応じ、歩道の整備計画を一部修正して、百万遍交差点付近の石垣が残る計画に合意し、「石垣カフェ」も閉店され、立看板を置く場所は維持された。

 この半年を超える実力行使による学生側と京都大学との協議の歴史は、後で述べるが、今回の京都大学の措置に対する学生の姿勢に影響を与えていると思うが、私は、この時と同じ手法では解決できないと思っている。

 その後、平穏無事に存在していた石垣と立看板であったが、2017年11月、京都大学が立看板に対する新しい規定を設けることを公表し、大きく動き出すことになる。

 当時の報道によると、京都市は、これらの立看板について、常時あるいは一定期間継続して屋外で公衆に表示される「屋外広告物」に該当すると判断し、京都市屋外広告物等に関する条例(以下「本条例」という。)が設置を禁じている擁壁への立てかけや公道の不法占用に当たり、市長の許可も得ていないと指摘し、大学に指導があった模様だ。

 京都大学は、このような京都市の指摘も受け、2017年12月、京都大学立看板規程(以下「本規程」という。)を制定し、次のように立看板の掲示を制限した。即ち、(i)立看板の設置は、総長が承認した団体に限られ(2条)、(ii)その設置も大学が指定した場所に限る(3条)ものとし、その他大きさ(2メートル四方以内)や設置期間(30日以内)についての規程が設けられた。なお、2条については、いわゆる新入生のサークル勧誘時期(2月20日〜4月20日)及び11月祭の時期(10月15日から学祭終了まで)に限り、承認団体以外の学生団体が設置することが許されている(7条)。この規程は、2018年5月1日に施行されたが、この際、設置場所は、学内の場所に限られたため、百万遍交差点付近を含む、大学の外側に面した石垣は、全て設置場所から除外され、従前と同じ場所における「立看板」の実施が規程上は不可能となった。

 本規程の施行後も、一部の学生とみられる者が百万遍交差点付近や京都大学の正門付近の石垣に立看板の設置を強行しており、少なくとも5度、大学側によって立看板が撤去されるという事態が続いている。

 様々な報道もあり、関心が高いためか、2018年6月13日、京都大学は、「京都大学立看板規程に寄せられた意見等への対応について」を公表した。これによれば、本規程の改正等も視野に入れるほか、京都大学の外部向けの立看板設置場所を西部構内に設けることを表明している。但し、末尾記載のとおり、「本学外構周辺の立看板等については、京都市屋外広告物等に関する条例に抵触するのみならず、道路の不法占用に当たること、歩行者に危険になりかねないことを内容とする市からの指導を受け、また、歩行や児童の通学にとって危険であるなどの周辺住民からの苦情も寄せられているところです。事実、倒れた立看板が通行人に当たって負傷させた事例が過去に複数回起きています。京都市にある大学として本学のみが特例的な扱いを求めうる根拠はなく、法令違反を犯さないよう、引き続き、学生・教職員に求めてまいります。違反が発生した場合には、今後とも大学が立看板等の撤去を行うとともに、再三にわたり法令違反行為を続ける者・団体に対しては、法的な措置を含め、厳正に対処します。」と述べ、従前の百万遍交差点付近や正門付近の石垣に立看板を設置することは許容しないことを改めて表明している。


第2 問題の所在と評価

 以上見たとおり、京都大学は、(i)本条例に違反し、道路の不法占用にあたること、(ii)歩行者に危険があり負傷させた事例が過去に複数回起きていることを理由として、百万遍交差点付近や正門付近の石垣に立てかける従来からの「立看板」を認めないことを改めて公表している。また、(iii)その許容性の1つに、西部構内に外部向けの立て看板設置場所を設けることも考慮する必要がある。これらを総合的に考えて、本規程に基づく立看板規制が妥当と言えるであろうか。

(i)本条例に違反するか?

 まず、京都大学といえども社会的な実在であり、法令遵守をしなければならないことは勿論である。特に、京都市から指導があったという事実からしても、(i)本条例に違反すると指摘されてしまうのであれば、これに何らかの応対をしなければならないのは当然である。では、百万遍交差点付近や正門付近の石垣に設置された立看板は、本条例に違反するのであろうか。

 ある掲示屋外広告物法2条1項(本条例もこの定義に従う)所定の「屋外広告物」に該当するか否かは、憲法の定める表現の自由との関係もあり、古くは最高裁でも争われ(最大判昭43.11.18、最判45.4.30)たが、たとえ営利広告ではなくても、「常時又は一定の期間継続して屋外で公衆に表示されるものであつて、看板、立看板、はり紙及びはり札並びに広告塔、広告板、建物その他の工作物等に掲出され、又は表示されたもの並びにこれらに類するもの」一般を指す。従って、京都大学百万遍交差点石垣や正門付近石垣に設置されてきた立看板は、よほど短期間の掲示であれば別論、基本的に同法2条1項所定の「屋外広告物」に該当する。そして、京都大学百万遍交差点石垣付近は、本条例8条1項11号所定の「沿道型第2種地域特定地区」、正門石垣付近は、本条例8条1項2号の「第2種地域」に指定されているため、本条例9条1項により、立看板を含む野外広告物の設置は、原則として京都市の許可を必要とする。とすれば、そのような許可を得ずに設置する立看板は、条例に違反して設置が許されないという結論となる。

 もっとも、本条例9条1項但書では、かかる規制の例外が規定されており、その1号及び本条例6条1項2号及び3号によると、次のような屋外広告物は、この規制の対象外とある。
(2) 国若しくは地方公共団体の機関又は別に定める公共的団体が公共の目的のために表示する屋外広告物及び国又は地方公共団体の機関の指導に基づき表示する屋外広告物でその表示の公益性が高いもののうち市長が指定するもの
(3) 工事,祭礼又は慣例的行事のために表示する屋外広告物で,表示する期間をその物に明記するもの(当該期間内にあるものに限る。)

 また、本条例9条1項但書の5号によると、「団体(営利を目的とするものを除く。)又は個人が政治活動,労働組合活動,人権擁護活動,宗教活動その他の活動(営利を目的とするものを除く。)のために表示する屋外広告物で,第11条第1項各号(第6号を除く。)に掲げる基準に適合しているもの」についても、規制の対象外である。第11条第1項各号の解説を省くが、結論だけを言えば、この条項によれば、表面積が2平方メートル以下の立看板であれば、条例違反とならない可能性もあるが、立看板を現状のように道路上に設置するとなると、「道路の路面に屋外広告物を表示してはならない。ただし,法定屋外広告物及び公益,慣例その他の理由によりやむを得ないものとして別に定める屋外広告物については,この限りでない。」(5条2項)になお抵触する点はクリアしなければならない。例えば、石垣に設置する場合でも、道路上に設置して石垣に立てかける形式としてしまうと、現状では本条例5条2項本文違反となる可能性が極めて高い。道路上ではなく、石垣の上部に設置する場合は、本条例5条2項本文には違反しない(もっとも、「擁壁」(本条例5条1項6号、同施行規則5条4号)への設置も禁止されているので、これに該当することも回避しなければならない。)。

 要するに、京都市に個別の許可を求めないとするのであれば、本条例6条1項2号の指定を受けるか、6条1項3号の期間内に該当するか又は5条2項の定めを受けるかしなければ、百万遍交差点石垣又は正門付近石垣に設置する立看板(道路や「擁壁」に設置)は、少なくとも形式的には本条例に違反すると思われる(なお、道路にも「擁壁」にも設置しない立看板の場合は、違反とならない可能性もある。)。

 なお、「形式的」というのは、そのような規制が憲法の定める表現の自由に違反して違憲無効であるという可能性も0ではないために置いた表現である。もっとも、前掲の2つの最高裁判例に照らすと、違憲の主張が通る可能性がないとは言わないが、そう容易な道ではないため、立看板の設置は表現の自由の行使として慣例により認められ、条例が違憲無効という主張は、刑事裁判であればあり得る主張かもしれないが、この問題の解決との関係では、前面に押し出すべきではなかろう。

(ii)危険か?

 京都大学は、立看板による事故が過去に複数回起きているという。しかし、この点はちょっと理解できない。第一に、既に何十年という歴史がある立看板が本当に危険であれば、もっと早期に対応されていた筈であるし、どのような事故だったかも不明である。台風等である場合であれば別であるが、通常の状態であれば、一般には危険性は低いと思われ、もし危険だとするのであれば、大学側から具体的な事故態様が公表されてしかるべきであろう。

(iii)西部構内はどうか?

 この点は評価が分かれるかもしれないが、立看板とは、見る人が多い場所に設置しなければ看板としての意味がないところ、西部構内までわざわざ立看板を見に来る者がどの程度いるか(特に学外の者)というのを考える場合、代替措置としては不十分ではないかと考える。なぜそう考えるかと言えば、京都大学の卒業生であり、地域住民でもあり、現在も非常勤講師である私自身、西部構内に滅多に行かないからである。


第3 立看板維持派は何をすべきか?

 以上見たとおり、百万遍交差点石垣や京都大学正門石垣に設置する立看板は、京都大学の学内規則である本規程に違反するのみならず、少なくとも形式的には、京都市の本条例に違反している可能性が高い。従って、現状京都大学が採る措置も、やむを得ないように思われる面もある。

 しかしながら、立看板の長い歴史と意義に照らせば、その必要性も十分認められると考えるところ(そうでなければ、このように大々的に報道されないであろう)、本条例違反と解されることを回避するため、立看板を百万遍交差点石垣や正門石垣に設置したい学生は、本条例に基づき立看板が認めて貰えるような交渉を京都市との間で行い、また、京都大学に対しても、京都市との間で、そのような交渉を行うように促すべきではなかろうか。

 そして、そのような交渉を有利に進めるためには、大学との闘争を繰り替えるだけでなく、市民に訴えることが重要だ。京都市とて、これが政治的な関心につながるものだとすれば、選挙の争点となり、無視できなくなる。場合によっては、署名を集め、条例改正に向けた直接請求権の行使のために動くことも考えられる(有権者の50分の1の署名を集めれば、地方自治法に基づき条例の制定(改正)の請求をすることができる。)。条例が立看板を正面から認めるならば、良いのだから。

 かつて、先述のとおり「石垣カフェ」は事実上実力で京都大学との交渉を勝ち取り石垣を残置することに成功した。ただ今回は、単なる学内の工事の問題ではなく、京都市の条例の問題が存在しているため、大学側に対する実力行使のみでは、条例違反による逮捕という事態を招く可能性があり、適切な解決とならないことを懸念している。

 参考になるかどうか分からないが、京都で長く伝統のあるものに「川床」というものがある。
 鴨川の納涼祭は、長い歴史の中で昭和17年頃一旦途絶えた。そして納涼祭(川床)を行う床が、河川法で規制される河川の上であり、また景観との兼ね合いもあって、戦後すぐに復活させることができなかった。しかし、地域と京都府との話し合いの末、京都府鴨川条例及び鴨川納涼床審査基準に基づき、現在は同基準に基づき、約100店舗が川床をルールに基づいて実施している。公の所有である河川の上であっても納涼祭を実現できているのであるから、道路の上であっても、立看板を実施できない筈はない。ただ、立看板等の設置場所が(たとえ大学に隣接する場所であるとしても)学外となれば、同様に何らかのルールは必要であろう。

 また、交渉に際しては、本規程及び本条例に鑑みると、危険性に対する懸念はある程度解決する必要があるように思われ、設置期間と設置者の表示を受け入れることができるかも問題となるように思われる。京大の立看板は、時に政治的内容も含むことから、匿名性が保たれなければ十分な批判ができないと考える者もいるかもしれない。もっとも、この点は、危険性を回避するための連絡方法なのであるから、学籍番号その他の代替的な連絡手段(例えば、ツイッターのidを記載するというやり方もあるかもしれない)があれば解決できるかもしれない。

 立看板を作ってくれる学生に頑張って欲しいというエールを込めて、京都大学京都市との交渉、場合によっては市民への働きかけを早急に始めるべきとアドバイスしたい。そうでなければ、長い歴史を有する立看板が、学生の逮捕という悲しい結末で終わってしまうのではないか、強い危機感を覚える。解決策はあるのだから、その正しく合理的な解決策に向かって頑張って欲しい。

 そんなことは面倒だと思う学生も多いかもしれない。しかし、面倒なことをやるのも、学生生活としてまた一興ではなかろうか。

弁護士に対する懲戒請求とは何なのか?

弁護士に対する「不当」な懲戒請求に対し、その請求を受けた東京弁護士会所属の北周士弁護士と佐々木亮弁護士が5月16日、記者会見をしたことで、大きく報道された(その様子については、HUFFPOSTの記載が詳しい。)。その後、例えば橋下弁護士らが、北弁護士らの今回の対応について批判的なツイートを掲載している

北弁護士とは、個人的に親交もあるが、そもそも、弁護士に対する懲戒請求制度について、正確に理解されていないところがあると思うし、また、私もいち弁護士として、世の方々に正しくこの制度を使って欲しいと思うため、少し記載をしてみたい。


1.懲戒請求制度の概要と趣旨
2.懲戒請求制度の仕組み
3.北弁護士に対する懲戒請求不法行為か?
4.共同不法行為性と、損害論
5.おわりに


1.懲戒請求制度の概要と趣旨

弁護士法第八章(56条以下)は、弁護士及び弁護士法人に対する懲戒制度を規定している。
弁護士及び弁護士法人は、弁護士法や所属弁護士会日弁連の会則に違反したり、所属弁護士会の秩序・信用を害したり、その他職務の内外を問わず「品位を失うべき非行」があったときに、懲戒を受けることになっている(同法56条)。

懲戒は、基本的にその弁護士等の所属弁護士会が、懲戒委員会の議決に基づいて行う。
弁護士に対する懲戒の種類は、次の4つである(同法57条1項)。

  • 戒告(弁護士に反省を求め、戒める処分です)
  • 2年以内の業務停止(弁護士業務を行うことを禁止する処分です)
  • 退会命令(弁護士たる身分を失い、弁護士としての活動はできなくなりますが、弁護士となる資格は失いません)
  • 除名(弁護士たる身分を失い、弁護士としての活動ができなくなるだけでなく、3年間は弁護士となる資格も失います)

つまり、懲戒を受けると、最悪弁護士たる身分や、弁護士となる資格を失うのである。

また、この懲戒の結果は、官報に公告される(同法64条の6第3項)ほか、弁護士の機関誌である「自由と正義」という雑誌に公表される(従って、単なる「戒告」であっても、皆に知られてしまうから、大ダメージである)。最近では、その雑誌に公表された結果を掲載するホームページもあるようである。また、最終的に懲戒されないという結論になるとしても、所属弁護士会が懲戒手続を開始すると、法律上、登録換又は登録取消の請求をすることができない(同法62条)。例えば、引っ越しで大阪から東京に登録を換えて弁護士をしようとしても、その変更ができないのである。通常、懲戒請求の結論が出るまで、1年では効かないそこそこ長い期間がかかるので、この負担は、全く軽視できない。

そのような重い手続である懲戒の請求を、「何人も」「その事由の説明を添えて」求めることができる(同法58条1項)。そこで、今回北弁護士らに対する大量の請求が現実に発生したのである。

なぜ、そのような大量に請求されることもある、弁護士にとっては請求されるだけでも辛いともいえる懲戒請求を、「何人も」できるようにしているのだろうか。

冒頭紹介した橋下弁護士が、かつてある刑事事件の弁護人に関し(一部省略するが)「(3)ぜひね、全国の人ね、あの弁護団に対してもし許せないって思うんだったら、一斉に弁護士会に対して懲戒請求かけてもらいたいんですよ」、「(4)懲戒請求ってのは誰でも彼でも簡単に弁護士会に行って懲戒請求を立てれますんで、何万何十万っていう形であの21人の弁護士の懲戒請求を立ててもらいたいんですよ」、「(5)懲戒請求を1万2万とか10万とか、この番組見てる人が、一斉に弁護士会に行って懲戒請求かけてくださったらですね、弁護士会のほうとしても処分出さないわけにはいかないですよ」などと、番組の視聴者に対し、本件弁護団を構成する弁護士について懲戒請求をするよう呼び掛けたことが、不法行為を構成するかどうか争われた最高裁の裁判(最判平成23年7月15日判タ1360号96頁。以下「橋下事件最高裁判決」という。事案としては、橋下弁護士不法行為責任はないと判示された。)の裁判官竹内行夫の補足意見では、次のように説明されている。

「弁護士に対する懲戒については,その権限を自治団体である弁護士会及び日本弁護士連合会に付与し国家機関の関与を排除していることとの関連で,そのような自治的な制度の下において,懲戒権の適正な発動と公正な運用を確保するために,懲戒権発動の端緒となる申立てとして公益上重要な機能を有する懲戒請求を,資格等を問わず広く一般の人に認めているものであると解される。これは自治的な公共的制度である弁護士懲戒制度の根幹に関わることであり,安易に制限されるようなことがあってはならないことはいうまでもない。日本弁護士連合会のインターネット上のホームページにおいても,「懲戒の請求は,事件の依頼者や相手方などの関係者に限らず誰でもでき,その弁護士等の所属弁護士会に請求します(同法58条)」と紹介されているところである。
 懲戒請求の方式について,弁護士法は,「その事由の説明を添えて」と定めているだけであり,その他に格別の方式を要求していることはない。仮に,懲戒請求を実質的に制限するような手続や方式を要求するようなことがあれば,それは何人でも懲戒請求ができるとしたことの趣旨に反することとなろう。
 また,「懲戒の事由があると思料するとき」とはいかなる場合かという点については,懲戒請求が何人にも認められていることの趣旨及び懲戒請求は懲戒審査手続の端緒にすぎないこと,並びに,綱紀委員会による調査が前置されていること(後記)及び綱紀委員会と懲戒委員会では職権により関係資料が収集されることに鑑みると,懲戒請求者においては,懲戒事由があることを事実上及び法律上裏付ける相当な根拠なく懲戒請求をすることは許されないとしても,一般の懲戒請求者に対して上記の相当な根拠につき高度の調査,検討を求めるようなことは,懲戒請求を萎縮させるものであり,懲戒請求が広く一般の人に認められていることを基盤とする弁護士懲戒制度の目的に合致しないものと考える。制度の趣旨からみて,このように懲戒請求の「間口」を制約することには特に慎重でなければならず,特段の制約が認められるべきではない。この点については,例えば本件のような刑事弁護に関する問題であるからとの理由で例外が設けられるものではない。
 第1審被告は,本件発言(4)で懲戒請求は「誰でも彼でも簡単に」行うことができると述べて本件呼び掛け行為を行ったが,その措辞の問題は格別,その趣旨は,懲戒請求権を広く何人にも認めている弁護士法58条1項の上記のような解釈をおおむね踏まえたものと解することができると思われる。
 ところで,広く何人に対しても懲戒請求をすることが認められたことから,現実には根拠のない懲戒請求や嫌がらせの懲戒請求がなされることが予想される。そして,そうしたものの中には,民法709条による不法行為責任を問われるものも存在するであろう。そこで,弁護士法においては,懲戒請求権の濫用により惹起される不利益や弊害を防ぐことを目的として,懲戒委員会の審査に先立っての綱紀委員会による調査を前置する制度が設けられているのである。現に,本件懲戒請求についても,広島弁護士会の綱紀委員会は,一括調査の結果,懲戒委員会に審査を求めないことを相当とする議決を行ったところである。綱紀委員会の調査であっても,対象弁護士にとっては,社会的名誉や業務上の信用低下がもたらされる可能性があり,また,陳述や資料の提出等の負担を負うこともあるだろうが,これらは弁護士懲戒制度が自治的制度として機能するためには甘受することがやむを得ないとの側面があろう。」

つまり、弁護士会は、国家機関の関与を排除して監督官庁がなく、自治によって運営されている以上、その懲戒制度がきちんと運営されるために、資格等を問わず「何人も」広く一般の人でも懲戒請求できるようにして、弁護士や弁護士会の公正を保つために認めているのである。故に、一般の人が懲戒請求できなくなってしまうような要件を設けるとか、専門的な意見が言えないと懲戒請求ができなくなるようにすることは間違いだが、「現実には根拠のない懲戒請求や嫌がらせの懲戒請求がなされることが予想される。そして,そうしたものの中には,民法709条による不法行為責任を問われるものも存在するであろう。」と説明されるとおり、間口を広くした結果として、一般人からの「根拠のない懲戒請求や嫌がらせやの懲戒請求」については、「不法行為責任」が問われ得ることについても、広く認識されているところである(つまり、そのような請求が来てしまうのは、制度上「やむを得ないとの側面」があるが、そのような不当請求については、この補足意見を前提とすれば、別途の裁判で解決する、ということになる)。

おそらく、これは想像であるが、北弁護士らは、このような大量の懲戒請求を目の前にし、上記橋下事件最高裁判決も十分検討した上で、今回の懲戒請求は、「根拠のない懲戒請求や嫌がらせの懲戒請求」に該当するものとして、「民法709条による不法行為責任を問」うことにより、別途の裁判で解決しようと考えたのではなかろうか。


2.懲戒請求制度の仕組み

さて、一般の方から懲戒請求されたことについて、北弁護士らは、裁判で損害賠償請求をすると言っているが、では、懲戒請求制度は、一度請求すると、どのように進展するのであろうか。

この点をわかりやすく図示しているのが、日弁連のホームページにあるので、リンクを貼っておく

何段階かに分かれており、まず、当該弁護士の所属弁護士会の内部にある「綱紀委員会」という委員会が審査をし(弁護士法58条2項)、その結果、懲戒委員会の審査を求めるという議決となった場合に、「懲戒委員会」による審査を求めることになる(同法58条3項)。「懲戒委員会」の審査の結果、「懲戒することを相当と認めるときは、懲戒の処分の内容を明示して、その旨の議決をする。この場合において、弁護士会は、当該議決に基づき、対象弁護士等を懲戒しなければならない。」(同法58条5項)。

この「懲戒委員会」の審査に基づく所属弁護士会による判断は、請求者からの異議や、懲戒を受けた弁護士からの審査請求がある場合、日弁連の懲戒委員会でも審査される。また、所属弁護士会の「綱紀委員会」が懲戒委員会に対し審査請求をしないとなった結論について、懲戒請求者が異議を出した場合、日弁連の綱紀委員会で審査され、逆転で審査請求が相当となると、所属弁護士会の「懲戒委員会」に審査請求されることもある。また、所属会・日弁連の「綱紀委員会」でいずれも審査請求しないという結論が出た場合に、更に「綱紀審査会」という会に綱紀審査の申出をすると、逆転で審査請求をせよとなることもある。

最終的に、日弁連の懲戒委員会の懲戒の結論に不服がある弁護士は、その日弁連の判断の取消を求めて、東京高等裁判所に提訴することもできる。これは、日弁連監督官庁がないことに鑑み、日弁連の判断を一種の行政処分であるとみて、東京高等裁判所に、取消の訴えを提起することができるようにしたものである(同法61条)。

ときどき、「綱紀委員会」「懲戒委員会」も、弁護士なんだから、身内に甘いのでは?との意見を聞く。しかし、「綱紀委員会」の構成員には、裁判官、検察官、学識経験者などの外部の方も含まれている(同法70条の3)。「懲戒委員会」の委員も、弁護士のほか、裁判官、検察官及び学識経験のある者の中から選ばれている(同法66条の2)。
 
既に述べたが、このように、懲戒請求には、所属弁護士会の「綱紀委員会」「懲戒委員会」、日弁連の「綱紀委員会」「懲戒委員会」「綱紀審査会」、更に東京高裁での裁判があり得るのであり、かなりの時間と労力を要する。そして、弁護士は、これらの労力について、依頼者がいない(自らが代理人ではない当事者となる。)ため、誰に対しても報酬を請求することができない。かなりの長時間、タダ働きさせられた上で、自らが身分を失う懲戒を受けるかもしれないのである。弁護士自治のため、であるが、しかし、もし懲戒の請求が不当である場合であれば、この負担を懲戒請求者にも求めたくなる気持ちそのものは、理解して貰えるだろうか。大事な制度であることは、弁護士の誰もが認めるけれども、濫用されてしまうと、かなり大変なことになるのだ。


3.北弁護士らに対する懲戒請求不法行為か? 

では、問題の北弁護士らに対する懲戒請求について、不法行為として懲戒請求者に対し損害賠償請求が認められるのか。

不法行為として損害賠償請求が認容されるには、ざっくり言うと、当該行為が権利侵害である等として違法となり、それによって損害が発生することが必要である。

法が認める権利の行使であれば、通常は適法であって違法とは言えない。弁護士に対する懲戒請求自体は、弁護士法によって認められる制度であり、「何人も」請求することが法律上できるのであって、通常は、その請求が違法になることはない。

もっとも、請求するときには、「その事由の説明を添えて」請求することができるという制度であり、上記橋下弁護士に関する最高裁判例の補足意見も、一般人からの「根拠のない懲戒請求や嫌がらせやの懲戒請求」については、「不法行為責任」が問われ得ることについては認めている。つまり、根拠のない懲戒請求や嫌がらせの懲戒請求等、権利の濫用と言われるような請求であれば、例外的に違法になることがあり得る。

ただ、上記橋下事件最高裁判決の一審被告であった橋下弁護士の行為(ちなみに、一審広島地裁では損害賠償請求が容認されている。)と、本件懲戒請求者の行為は少し違うように思われる。橋下弁護士は、テレビを通じて、懲戒請求を促したというものであって、その表現行為が不特定多数に広がったものであり、その表現行為が不当であれば名誉毀損とか、名誉毀損でなくても、人格的利益が毀損されるという違法行為を構成する可能性がある。しかし、個々の懲戒請求者は、その懲戒請求書を当事者である弁護士以外でいえば、所属弁護士会にしか見せない。懲戒請求という制度を通じて、懲戒の「事由の説明」について、当該弁護士のみならず、少なくとも綱紀委員会の委員に読まれることにはなるが、仮に、荒唐無稽な主張であれば、懲戒委員会への審査請求もされないという結論になるので、その不当な表現が知られる範囲は、ある程度限定されていることになる。

つまり、荒唐無稽な主張であっても、果たして個々の懲戒請求者が、北弁護士らの権利を侵害する違法な行為を行ったと言えるほどに、権利を濫用したと言えるかが、訴訟における1つの大きな争点になると思われる。

ただ、この点、報道による限りであるが、懲戒請求者らの「事由の説明」の内容を見ると、明らかに懲戒請求にあたらない内容が記載されていた模様だ。それが、扇動的なホームページに記載され、それを印刷して懲戒請求を大量に行う。明らかに懲戒請求に値しない内容が記載されるならば、綱紀委員会で審査請求しないという結論になるのだろうし、違法性はない、ということになるのか、それとも、違法となるのかについては、訴訟提起が違法となり得るのかどうかの裁判例と状況が類似すると思われる。というのも、訴訟も、裁判そのものは、形式的には公開される(この点は懲戒請求とは違う。もっとも、懲戒請求が認められる場合には、官報に公告されるなど、訴訟以上に広く知られる可能性がある点にも留意すべき。)ものの、実質的には、当事者間で知られるだけであるし、訴訟の提起は原則として権利の行使であるので、訴訟提起の違法性と、懲戒請求の違法性というのは、ある程度類似するからだ。

この点、最高裁のある程度確定した判例によれば「訴えの提起が相手方に対する違法な行為といえるのは,当該訴訟において提訴者の主張した権利又は法律関係が事実的,法律的根拠を欠くものである上,提訴者が,そのことを知りながら,又は通常人であれば容易にそのことを知り得たといえるのにあえて訴えを提起したなど,訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるときに限られるものと解する」とされる(最判平成22年7月9日判タ1332号47頁、なお同最判が引用するものとして、最判昭和63年1月26日民集42巻1号1頁、最判平成11年4月22日判タ1006号141頁。)。これらの最高裁判例(以下「不当訴訟最高裁判決」という。)に照らすと、客観的にも主観的にも、およそ請求が通る見込みがないのに懲戒請求するような場合は、たとえ橋下弁護士のようにテレビで表現行為を行っているような場合でなくても、違法な行為となり得るように思われる。

長文となったが、弁護士にも様々な意見があることは承知しているが、今回の北弁護士らに対する懲戒請求は、報道による限り、およそ懲戒請求者の主張した事由が根拠を欠いていて、しかもそのことについて懲戒請求者も十分知っていたと言うことができるように思われる。従って、これらの者に対する、懲戒請求は違法ではないかと考えるところである。


4.共同不法行為性と、損害論

もっとも、では、いったいどのような損害が発生したのかについては、なお議論の余地がある。仮に違法でも、損害がなければ、不法行為に基づく損害賠償請求は容認されないからだ。

第一に、橋下事件最高裁判決でも、「本件懲戒請求は,本件書式にあらかじめ記載されたほぼ同一の事実を懲戒事由とするもので,広島弁護士会綱紀委員会による事案の調査も一括して行われたというのであって,第1審原告らも,これに一括して反論をすることが可能であったことや,本件懲戒請求については,同弁護士会懲戒委員会における事案の審査は行われなかったことからすると,本件懲戒請求がされたことにより,第1審原告ら(注:←懲戒請求を受けた弁護士のこと。)に反論準備等のために一定の負担が生じたことは否定することができないとしても,その弁護士業務に多大な支障が生じたとまでいうことはできない。」として、懲戒請求を受ける弁護士の負担については、綱紀委員会による負担についての「多大な支障」を否定している。

もっとも、報道によれば、懲戒請求に関連して、「懲戒請求者は9000000000名ですからね」「外患誘致罪」と書かれた手紙を受領したり、懲戒請求の内容が、ツイッターの表現行為に言及して、それが懲戒事由だと記載されたものもあるようだ。私であれば、たとえ懲戒請求に対する対応が、綱紀委員会の審査だけで終わるとしても、日頃の業務やツイッターを含む表現行為に対し、広範な監視がされるような圧迫感を感じ、正直怖さを感じるであろう。懲戒請求そのものはやむを得ないことがあるにせよ、様々な威圧行為がある中で、およそ懲戒になり得ない事実・理由を記載さた上で懲戒請求を受けてしまったならば、少なくとも精神的に萎縮する。懲戒請求を受けた弁護士に対し、懲戒請求を超えた威圧行為がある中での理由のない懲戒請求は、制度を超えた生命身体自由に対する侵害がある可能性を感じるものであり、そのような懲戒請求であれば、人格的利益が害されたと言えるのではなかろうか。

もっとも、個々の懲戒請求者の誰がそのような威圧行為をしたかは不明である。
そうすると、個々の懲戒請求と、実際に発生した損害(人格的利益の侵害)との間に因果関係がないとなる可能性もある。例えば、懲戒請求をした人ではない人が威圧行為をしているとすれば、個別の懲戒請求者は、威圧行為によって発生した人格的利益の侵害をしていないという結果になり、やはり損害賠償請求は認められないということになり得る。
私は、もちろん事実関係が明らかにならなければ断言はできないが、本件について報道等を見る限りは、共同不法行為の理論により、その損害賠償が認められるのではないかと考える。
すなわち、報道等によると、懲戒請求は、扇動的なホームページを見た者が、その書式を使って請求している模様であり、懲戒請求の理由における同一・類似性も認められる模様であるから、これらの者の間で、いわゆる関連共同性が認められるように思われるからだ。

なお、威圧行為がなくても、懲戒請求単体でも損害は発生し得ると思われるが、上記橋下事件最高裁判決があるので、その事件では生じなかったが本件では生じた損害というのが何なのかをどのように主張立証するのは、注目してみたい。


5.おわりに

以上概観したとおり、北弁護士らに対する懲戒請求を含む一連の行為については、全体として評価すると、不法行為として損害賠償請求が認められるように思われる。弁護士に対する懲戒請求というのは、弁護士に対し身分を奪う強いサンクションを伴う請求であり、もちろん弁護士自治を保つために必要な制度ではあるものの、本件のように濫用されることを許すべきではないのではなかろうか。


おまけで。
この北弁護士らの対応に「正義」がないと仰る弁護士さんがいるようなので、一言。
私の解釈する「正義」というのは、絶対的な正しさという意味ではなく、類似の状況においても正当化されるだけの根拠(北弁護士らでなくても、同じような被害を受けた時に同じような言動をする弁護士がいたら、それは同様に対応するのが相当だろうといえるか?)と私は解したが、その趣旨であれば、あるのではなかろうか。つまり、このような懲戒請求を受けることは、弁護士であれば、誰でもあり得るところ、自分がもしこの被害を受けたら、やはり怖い。そして、制度的に、まさに弁護士自治という制度によって、我々弁護士は、誰もがこのような被害に遭う危険を負っている。弁護士自治のための懲戒制度であり、それそのものは仕方がないにせよ、権利濫用と言えるような懲戒請求についてはご遠慮いただきたい、そのために北弁護士らが敢えて戦ってくれている、そう感じている弁護士が多いからこそ、あれだけのカンパが集まるのではないか、私はそう感じている。