地震で自信を持つ
能登沖の地震、大変な被害のようです。
こういう天災は、日本のどこでも必ずやってきます。避けることはできません。むしろ、やってくるという前提で国作りをしなければいけません。
しかし、現実の国造りはどうでしょうか。
日本は、ここ何十年と、ずっと東京一極集中を強めてきました。
日本の首都は東京であり、東京は、世界と(経済的・文化的に)戦う日本の首都として、それに相応しい陣容を整えるべきだとは思います。しかし、それは、必ずしも一極集中を意味する必要はないと思います。東京ほど一極集中していなくても、ニューヨークは立派な金融機能を果たしつつ、ワシントンは政治の中心として役割を果たし、ロサンゼルスは娯楽の中心としての機能を果たしている訳です。
もしも東京で地震が起きたら。もしも、北朝鮮から東京にミサイルが飛んできたら。
いまの日本は、東京が消滅するかもしれないという事態に対する危機管理が十分になされているでしょうか。これを回避する究極の手段は、基本的に、東京も、東京以外も栄える「共存共栄」しかあり得ないと思います。今回の地震はたまたま能登でしたが、日本に居る限りこんな地震は「つきもの」。私は自分の持論の正しさについて、この地震で自信を深めました。
勿論、日本の人口は当面減り続ける訳ですし、いままでのような、田舎に新しい道を造り続けるような大型公共事業による開発は、無理でしょう。そんなことをする必要はないと思います。大阪でも名古屋でも良い、福岡でも札幌でも良い、これらの都市には、まだまだ潜在能力があるのに、単なる一地方都市以上の機能が与えられないまま、廃れている部分が沢山あるのです。例えば大阪の湾岸地区。第三セクタにより開拓された土地が有り余っていて、はっきり言えばタダでも使ってくれた方が、既存の開発地区の賃料のことを考慮すれば良い訳です。
東京って、出生率がとても低いことでも知られています。女性が仕事をするから、全般として高学歴だから、でしょうか?勿論それもあるでしょうが、結果として仕事場まで遠いこと、とても機能的でいい都市だけど住む場所としては必ずしも適していないこと、が原因ではないでしょうか。
色々な幸せのために、分散させることは、重要な気がします。