藤本大学~徒然なるままに(弁護士ぎーちのブログ)

ぎーち(弁護士藤本一郎:個人としては大阪弁護士会所属)のブログです。弁護士法人創知法律事務所(法人は、第二東京弁護士会所属)の代表社員です。東京・大阪・札幌にオフィスを持っています。また教育にも力を入れています。京都大学客員教授・同志社大学客員教授・神戸大学嘱託講師をやっています。英語・中国語・日本語が使えます。実は上場会社の役員とかもやっていますし、ビジネスロイヤーだと認識していますが、同時に、人権派でもあると思っています。要するに、熱い男のつもりです。

8月6日です。

 まもなく日本時間であと1時間で、8月6日の午前8時15分を迎える。
 61回目の原爆祈念日。

 1945年8月6日午前8時15分、広島市の中心部、上空約500メートルで、たった一発の爆弾が爆発した。その一発が、その年のうちに広島市民約35万人の4割に相当する14万人を死に追いやった。様々な後遺症のことも考えれば、この一発がいかに非人道的であったかは、あまりに明白であろう。

 人類史上、「核兵器」が実戦で使われたのは、この6日の広島と、同月9日の長崎の2回で終わっていることになっているようにも思われる。我々は、被災者に「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませんから。」と誓った(原爆記念碑に刻まれた言葉)。しかし、現実はどうか。スレスレの兵器を我々は使い続けている。イラクで米国が劣化ウラン弾を使い続けたことは記憶に新しい。今回レバノンイスラエルが使っている兵器も、劣化ウラン弾が含まれているという指摘がある。

 どこまでが悪で、どこまでなら許されるか。これは難しい問題。
 誰だって戦争はしたくない。悪だと言いたい。しかし、世界レベルで考えた場合、政治的には、様々な事情で戦うことがあるかもしれない。自ら戦争をしかけなくても、攻め込まれたら?我々はまさに北朝鮮の核開発を契機として、真剣に考えざるを得ない立場に追い込まれている。ただ、はっきりしていることは、無辜の民間人を戦争に巻き込むことは、どんな人種・信条の人が相手であっても、許されるものではない。その民間人を大量に、かつ、その一瞬で留まらず後遺症として長期間傷つけ続ける核兵器劣化ウラン弾など関連兵器を含む)は、特に許されるものではない。

 戦争に関連して、「絶対悪」や「正義」を標榜してはいかんということだ。
 メグ・ギブソンが「ユダヤ人差別」発言をしたということは、米国ではかなりの話題(特にカリフォルニアでは)になっている。しかし、何故米国だけが今回のイスラエルレバノン侵略を消極的にせよ支持するのか。(ラジオのコメンテーターの解説によれば)米国の人口に占めるユダヤ人の比率は2,3%に過ぎないが、いわゆる「有力層」では、3割程度がユダヤ人。政治家などは勿論だが、ロースクールの教授や、あるいは有力なハリウッド関係者なんていう部門でも、かなりの比率でユダヤ人がいる。勿論、長いユダヤ人に対する差別の歴史は直視しなければならんだろう。ただ、過去にそうだったからといって、現在の悪事が許される訳ではない。宗教上正義だからといって、何でも行って良いという訳ではない。そのことは、真剣に相手とちゃんと議論しなければならんだろう。宗教や思想にはまっていると、その中で自己完結するから、そのことに気付きにくくなるものだ。

 かつて代理人として「えせ部落」とやり合ったときも、私はえせ部落の解体は望まなかった。ただ、えせ部落を放置せず、間違った言動に対しては、即日、警告の内容証明という形で、議論を持ち込んだ。それ一発で、エスカレートしていた動きは、少なくとも表面上は大人しくなったものだ。でも、「えせ部落」だからと言う理由で、無関心を決め込み、黙ってしまっていたら、もっと相手方もエスカレートしていたかもしれない。

 えせ部落と、ユダヤ人と、アメリカを一緒にしてはいかんかもしらん。しかし、ちゃんと議論するということで、少なくとも、反対論にそれ相応の根拠があることを示すことは、相手方に最低限の尊重というものを生じさせるものだ。劣化ウラン弾なんて、核利用の際に生じる核のゴミの有効活用という点で「環境にやさしい」とさえ言われていたもの。(怪しいが)気付かずに「環境にやさしい兵器」を大量に作っていたのかもしれない。

 とにかく、我々にはクチがある。手がある。言える。書ける。相手を尊重し、しっかりと、話しかけよう。全人格を込めた迫力で語りかける。そこに「本気」がある限り、意外と伝わるものだ。8月6日はその契機としたいものだ。

(きれいな文書ではなくごめんなさいね。)