藤本大学~徒然なるままに(弁護士ぎーちのブログ)

ぎーち(弁護士藤本一郎:個人としては大阪弁護士会所属)のブログです。弁護士法人創知法律事務所(法人は、第二東京弁護士会所属)の代表社員です。東京・大阪・札幌にオフィスを持っています。また教育にも力を入れています。京都大学客員教授・同志社大学客員教授・神戸大学嘱託講師をやっています。英語・中国語・日本語が使えます。実は上場会社の役員とかもやっていますし、ビジネスロイヤーだと認識していますが、同時に、人権派でもあると思っています。要するに、熱い男のつもりです。

「日本は世界で最も格差のある国になった」by 小沢一郎


 これは、どうなんでしょうかねえ。
 でも、「格差」の定義次第だと思いますねえ。


 例えば、日本は私が知る限りの他国(せいぜいアメリカやLLM仲間の出身国くらいとしか比べられませんが)と比べると、「学歴」による格差はないですよね。別に東大卒だろうが京大卒だろうが、ニートになる人は山のようにいる。そして、文系で大学院に通ったからといって収入に直結しない、むしろマイナスになることもある。UCLAにいた頃に、友人に「なぜLLMを取りに来たか」聞いた時に、スイス人も台湾人も、「収入が全然変わる」と言っていたのを思い出します。それに引き替え、私なんて日本に帰っても、もとの事務所に戻ったところで、LLMという「法学修士」という学位も、「ニューヨーク州弁護士」という資格も、収入に全く直結しません。それどころか、弁護士登録費用は自分持ちなので、2年間で350ドル、少なくとも所得が減る訳です。ニューヨーク州司法試験受験のために買った本や講座の費用も勿論自分持ち。


 「日本って、学歴社会ではないのか?それは歓迎!」
 まあ、そういう立場からすれば、「格差」はないですね、この国。

 (この段落追記)学歴社会じゃないことの証明がやや客観性を欠いたかもしれないので、一応次のサイト、見たことがない人であれば、見ておくことをオススメします。
 http://www.geocities.jp/dondokodon41412002/index.html


 ただ、もしもこの学歴を評価しないという風潮が、「普通の人が普通に頑張っても評価はしない」という風潮につながるとしたら、「世界でもっとも格差のある国」につながるかもしれません。


 例えばです。ここに勉強しか取り柄のない人がいたとしましょう。東京大学法学部を主席で卒業、そのまま東京大学法科大学院も主席で卒業、そして新司法試験にトップ合格。ところが、彼は外見が「いけてなく」、人付き合いも大の苦手。そして、今や弁護士になることまでなら、ちょっと努力すればなれるもの。こーんな高学歴な彼が、所属する事務所を見つけられない!という日が来るかも知れません。うーん、残念。他国なら、その学歴や資格をそのまま評価して貰えたのに。


 そして、それが評価されない中で、社会では何が評価されているのでしょうか?
 外見ですか?お喋りですか?人付き合いの良さ??いやいや、「能力」で評価してますよ・・・でもその「能力」って何?営業成績ですか??学位のような「客観的」競争に基づく評価、とはちょっと違いますよねえ、営業成績や人付き合いの評価って。


 学歴って、人付きあいが苦手だろうが、親がどういうバックグランドにあろうが、頑張れば何とか手に入ります。もちろんお金の問題もありますが、奨学金がしっかりしていれば、おそらく他のどんな能力基準よりも簡単に「学歴」は手に入ると思います。すみません、私、これ以上頭を小さくできません。容姿を良くするのも厳しいです。でも更に博士課程に行きたいと思えば、いけるでしょう。「学歴」で評価するというのは、実は簡単に「格差」を克服できる手段だったかもしれません。しかし、これを評価しないことによって、「普通には頑張っても手に入れられない他の何か」で評価していることになるかもしれません。そうだとすれば、確かに日本は、「世界で最も格差のある国」になったのかもしれません。


 別に私「学歴万歳」ではありませんよ。ただのさえない公立校あがりです。留学したことを収入で反映させたいと思っている訳でもありません(収入がマイナスになってでも、行ってみたかったんです)。ただ、ふと、「学歴を評価しないこと」が「平等社会」ではなく、「格差社会」につながる可能性も、なくはないなあ、と思った次第です。