藤本大学~徒然なるままに(弁護士ぎーちのブログ)

ぎーち(弁護士藤本一郎:個人としては大阪弁護士会所属)のブログです。弁護士法人創知法律事務所(法人は、第二東京弁護士会所属)の代表社員です。東京・大阪・札幌にオフィスを持っています。また教育にも力を入れています。京都大学客員教授・同志社大学客員教授・神戸大学嘱託講師をやっています。英語・中国語・日本語が使えます。実は上場会社の役員とかもやっていますし、ビジネスロイヤーだと認識していますが、同時に、人権派でもあると思っています。要するに、熱い男のつもりです。

時差ぼけ、とぼけ頭


 時差ぼけ?ってあんた今度はLAにでも行ってきたのかい?


 ・・・いえいえ、風邪で寝たり起きたりで、体内時計がちょっとおかしくなってしまい・・・。


 え、でも明日から仕事だろ?


 ・・・はい。ここは中国ですから、祝日は「元旦」だけです。
(但し、12月31日は月曜日だが、29日(土)が「振替」になって、29日仕事、31日休みとなり三連休・・・そしてこの三連休の大半を寝て過ごした・・・)


 ・・・ということで見事時差ぼけに。こまったものです。


 さてと。そんな時差ぼけのぼけ頭で、寝られないものだからあれこれ考え事をしてしまうのです。私の悪い癖です。


 新年の抱負という訳ではないですが、最近とみに思うのは、どうすれば、故郷広島が、第二の故郷ともいえる関西が、それぞれマトモに発展して、わざわざ仕事を探しに東京や海外に行く必要がなくなるだろうか、そんなような感じのことです。


 私個人、昨年1年は、大阪弁護士会にえらく痛めつけられた(・・・「特定公益活動義務」の履行の件です、はい。)のと、留学によって、東京or大阪みたいな選択に余り意味がない(どっちも日本やん)と感じるようになったので、別に東京で仕事をすることについて、正直抵抗はなくなりました。心残りがあるとすれば、我が愛する京都の自宅をどうすべきか悩まなければならない事くらいです。しかし、いち日本人として、いち地方出身者として、いちひねくれものとして、いち判官贔屓として考えると、そうやってみーんな東京にだけ集まる様な国でいいのかなあという大いなる疑問がふつふつと湧いてくる訳であります。


 おそらくこの種の疑問は、不肖時差ぼけぎーちが思いを巡らさなくても、お偉い方々が既に100万回は考えを巡らしているように思うのです。しかし、それでも解決していない訳ですから、小手先の手段で、例えば「子育て優遇」みたいな手段では、おそらく解決しないのではないかと思うわけです。


 例えばですね、色々な新聞サイトが取り上げている日本経団連の「成長創造〜躍動の10年へ〜」という談話というかコメントを見てもですね、なるほどそのとおりと思うことが一杯綺麗に書いてあるのですが、具体的ではないわけでして、これも目標にはなるかもしれないけれども、解決の切り札ではないなあ、と思うわけです。
(参考:日本経済団体連合会Website: http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2008/001.html


 翻って、ここ上海。そしてついこの間までいたLos Angelesを思い出します。
 どちらも完璧な都市じゃない。Los AngelesのDowntownの商業地の地価は、むしろ下落しつつある。しかし、全体としてみれば、首都じゃないのに、いま、生き生きと自立した発達を遂げていると言って良い。なにが大阪と、京都と、広島と違うのでしょうか。


 第一に思い浮かぶのは、何度かここで書きましたが、そのDiversity。
 正確な統計を持ち合わせていませんが、上海で外国人に出くわすのは全く珍しくありません。また中国人と言っても、必ずしも「上海人」ばかりではありません。Los Angelesでは、アジア人種が人口の1割を占め、そもそも白人は30%台しか人口に占めていません。そして、両都市とも、人口が確実に増え続けています。


 第二に思い浮かぶのは、それぞれの都市の実質的な自立です。
 上海の場合、勿論、地方自治というものが憲法上保証されている訳ではなく、上海市トップの上海市共産党書記(これは市長より偉いことになっています)は共産党中央の指令で派遣されてくる人間ですから、中央集権制の末端都市の1つとして、都市の自立なんてないように、組織上は思えます。しかし、実質的には、中国人独特の地方人としての自立意識に加え、豊富な資金源(税収)を有していることから、上海は自立しているように感じます。「上に政策あり、下に対策あり」と中国では良く言われますが、この辺、ホント巧みだなあ、と感じます。
 Los Angeles(County)の場合、合衆国憲法上、国から州が独自性を発揮できるという点に加えて、州憲法における比較的リベラルな規定により立法上自立がある程度保証されているという点がまず挙げられるでしょう。ちょっと変化球を用いて説明しますと、確か1994年の12月だったと思いますが、お隣Orange CountyがChapter 9(連邦倒産法第9章)の適用を申請した件1つ取り上げても、日本の夕張市財政再建団体転落の認定のような回りくどい国と地方との間の根回しはほぼ0(債権者との交渉は要件に若干影響するが)。州政府だってCountyにChapter 9の申請を強制できない、というのが通説(かつ文言解釈。もっとも反対説あり)です。そして、独自の映画産業、観光産業等によって、苦しいながらも、立派に独自のLos Angelesという文化を築いていると感じます。


 翻って日本を見ると、2050年には8000万人になろうかという人口減があり、お金の問題じゃなくて、そもそも日本が独自に存在できるのかすら危ういという状況があるように思います。Diversityなんて、勿論民族としてアイヌ民族やら朝鮮民族やらが暮らしているのではありますが、実感としては乏しい訳です。「地方自治は民主主義の学校」なーんて憲法の時間に習う訳ではありますが、現実としては、アメリカほど強力な地方自治制度ではなく、中国ほど強力な地方意識や税収がある訳じゃない。


 八方ふさがりにも思えるこんな状況ではありますが、やれないことはないと思うんですよねえ、Diversityと自立を生み出すような改革。それは、やっぱり地方分権というか、それは道州制でも、現在の都道府県制の変形でも、昔小沢さんが仰っていたような300の地方自治体でも何でも良いと思うのですが、権限のある、ある程度広域の自治体に、何でもやらせ、その自治体が何でもできるように国が権限をあげてしまえば、良いのだと思うのです。


 例えば、Diversityを生むために外国人が自由に来ると、危険だと言う人は一杯いるわけです。
 それは半分認めないといけないかもしれません。しかし、メリットもある訳です。私はDiversityがある街は、いまのところ例外なく魅力的に見えました。そういうのが好きな人もいるわけです。だから、例えば道州制を前提にするなら、近畿(関西?)州だけ、かなり自由にすれば良い。近畿と他の州を行き来する時に州境を超えられないという制限をつけたっていいじゃないか。近畿は外国人がうじょうじょできる街にしてしまえばいい。地盤はある訳ですよ、例えば大阪には、4カ国語(日英中韓)表記が整っている場所比較的あるじゃないですか。韓国人も中国人も比較的多い。距離的にも近い。そして、投資のために大胆な税制ほか優遇政策をすればいい。東京は放置しておいてもお金があつまるから今まで通りにして、近畿州は、放置しておいたら日本人が逃げていくばかりだから、外の力を借りてなんとか改革する。近畿州で成功すれば、他も真似れば良いし、失敗すれば他は真似なければいい。このまま実験せずにじり貧となるよりは、どんどんやってしまえばいい。


 理想を言えば、国の専権は、外国・防衛・金融政策と、縮小された国の財政の範囲での財務・文部・科学・法務などなど、かなあ。このうち、前3者だけは東京で良いと思う。後ろは東京以外に役所を設置する。日本の戦後の歴史と道州制導入の効果に鑑みれば、三権のうち行政権の大半を移転させてこそ真の効果が発揮されると思う。資金は、霞ヶ関一等地の官舎を売れば、東京以外ならどこにでも新しい庁舎が立つ。国会は、道州制を前提とすれば移転の必要はない。しかし権限が小さくなるのだから定員は減らす。参議院は50〜100名程度、衆議院は2〜300名程度で良いのではないだろうか。司法制度は、米国のようなFederalとstateの2分制が理想だけど、国土の大きさや人口も考慮し無理ならここは国だけでも良い。司法権は国だけでも良いから、立法権限を広く地方に認めるべきだ。アメリカの会社法の成長はDelawera州会社法の独自性と判例集積による刺激があった訳だが、法律面でも、地方による実験を認めて、色々地方で工夫をさせる。少なくとも道州レベルでは会社法レベルの立法ができて良い。そうして、地方に「頭脳」が必要な状態にする。「頭脳」が必要となれば、人が集まる。人間は考える葦であり、考えることに特性があるのだから、地方に人を呼ぶには、「頭脳」がたくさん必要な状態にしなければいけない。


 なあんて考えてたら、ぼけ頭は更に思考を嗜好し、ますます目が冴えてきます。しかし仕事に差し支えますのでさすがに寝ようと思います。おやすみなさーい。