藤本大学~徒然なるままに(弁護士ぎーちのブログ)

ぎーち(弁護士藤本一郎:個人としては大阪弁護士会所属)のブログです。弁護士法人創知法律事務所(法人は、第二東京弁護士会所属)の代表社員です。東京・大阪・札幌にオフィスを持っています。また教育にも力を入れています。京都大学客員教授・同志社大学客員教授・神戸大学嘱託講師をやっています。英語・中国語・日本語が使えます。実は上場会社の役員とかもやっていますし、ビジネスロイヤーだと認識していますが、同時に、人権派でもあると思っています。要するに、熱い男のつもりです。

「法曹養成制度・中間的とりまとめ」パブコメ


 どうもお久しぶりです。藤本一郎です。
 私も、パブコメ弁護士会の内部でも関与している部分があって、それはそれで良かったのですが、私が考えている少数意見的な部分、言うべきことは言っておきたくて、5月13日の最終日に出しました。

 長文になる割りには、時間の関係から推敲の足らない部分もありましたので、その一部を下記に記載しておきたいと思います。

(なお、パブコメの対象である「中間的とりまとめ」はこちら。)


(当職の意見内容)

第1 法曹有資格者の活動領域の在り方

(1) 第1,7項 (日本の弁護士の海外展開業務について)

(2) 意見の内容

 中間的取りまとめに総論では賛成である。
 ただし,日本の弁護士の海外展開の促進・充実に際する施策の実行に際しては,地方の弁護士・若い弁護士を含めた,志ある弁護士全体を支援することをその原則とし,施策の対象が,特定の地域・事務所に限定されることがないようにしなければならない。

(3) 理由(一部省略)

 確かに従前の海外展開業務をサポートする弁護士は,我が国においては,東京の大きな渉外事務所に属することが多かった。

 しかし,いまや海外展開業務は,特定の限られた法律事務所のみが提供するリーガルサービスではない。決して巨大事務所に属しない地方の法律事務所の弁護士である当職も,米国・中国留学から帰国して僅か5年であるが,数多くの国際案件に関与することができるよう自らを磨き,多くの案件を獲得することができている。

 万が一,そのような状況であるにも関わらず,既得権側の特定の地域・事務所に限定された施策が実行されれば,法曹有資格者の活動領域を広げるため,自らを改革し,従来型のリーガルサービスの提供から脱却しようと試みている志ある弁護士がその恩恵を受けらない恐れがある。

 従って,日本の弁護士の海外展開の促進・充実のための我が国の施策としては,いままで十分とは言えなかった地方の弁護士・若い弁護士を含めた,志ある弁護士をあまねく支援することをその原則とし,特定の地域・事務所に限定された施策がされることがないように留意して頂きたい。


第2 今後の法曹人口の在り方

(1) 第2,2項(司法試験合格者数の数値目標は設けないとする点)

(2) 意見の内容

 司法試験合格者数の数値目標(従前は,年間3000人程度)は設けないとする点に反対であり,年間3000人程度の数値目標を堅持すべきである。

(3) 意見の理由(一部省略)

 我が国の国際競争力の向上と法の支配の実現のためには,司法試験合格者数が,現在の実情の年2000人程度というのでは少なすぎる。米国では年5万人,中国では年8万人程度が司法試験に合格し,合格者数も全体的に見れば殆どの国で増加傾向にある中で,人口比や社会構造の相違を考慮に入れたとしても,我が国の司法試験合格者数が年3000人で多すぎるということはない。国内事情だけで法曹人口増のペースダウンを進めるべきではない。

 また,数値目標の撤廃は,法曹人口に関する誤ったメッセージを与えてしまう可能性が高い点も危惧する。当職は,3つの法科大学院で教えているが,マスコミの報道などからか,学生は想像以上にシビアに現状を見ており,法曹志願者減の現状に鑑みて法曹人口も更に削られてしまうという危惧を抱いている。今回数値目標を撤廃すれば,法曹人口は減らされる,減らされるべきだという間違ったメッセージを国が与えてしまうことになり,更に法曹志願者を減少させ,有為な人材が法曹を目指さなくなるという事態が発生する可能性があり,反対である。

 現在の実情である年2000人でも,弁護士事務所への就職がない,仕事がないという情報がマスコミ等を中心に伝播している。しかし,他の業種業態と比較して,法曹資格を有しても生活に困る者の割合が飛び抜けて高いとは思われない。むしろ,大多数の弁護士は,特に若い弁護士は,競争社会となることを受け入れ,自らを研鑽しようとしているし,食うに困っている弁護士は,いるかもしれないがごく少数派である。やるべきことは,古き良きギルドの復活ではなく,適度に競争のある開放された法曹社会である。数値目標の撤廃による実質的な合格者減(又は合格者減と見られてしまうこと)は,そのような競争する力を法曹から奪うこととなり,司法改革の時計の針が逆に戻ることにもつながりかねない。


第3 法曹養成制度の在り方

1 法曹養成制度の理念と現実〜プロセスとしての法曹養成

(1) 第3,1,(1)

(2) 意見の内容

法科大学院を法曹養成の中核とする考え方を放棄しない,との点に賛成する。
●教育体制が十分ではない法科大学院の統廃合に賛成する。しかし,定員削減を強く進めることは反対である。

(3) 意見の理由

 法科大学院の中には,様々な問題を抱えた法科大学院が存在しているのは事実である。しかしながら,素晴らしい法曹養成プロセスを実現している法科大学院が現に存在することもまた事実である。

 要するに,一律に法科大学院制度に問題があるのではなく,良い法科大学院が推奨され生き残り,悪い法科大学院が淘汰され廃れるように促すことが重要であり,これにより法科大学院間の教育競争が発生すれば,中長期的には,自然と素晴らしいプロセス教育が完成するものと信じる。

 悪い法科大学院の退場については,学問の自由との関係もあるので政策としては慎重に取り扱われなければならない。

 しかし,ここで強調したいのは,定員の削減の推奨は有害である場合が多いということである。例えば,全法科大学院が一律に定員を削減するなどの方法であれば,良い法科大学院に入学する機会も一律に削られ,法科大学院間の競争が生まれなくなってしまう。また,定員を大きく下回る入学者しかいない法科大学院が定員を削ることで競争倍率を確保し,生き残ろうとしているが,法科大学院として運営するには必要な学生数というものがあり,それ以下だと十分な教員の確
保や,優秀な学生数の確保ができず,結果として当該法科大学院は延命するかもしれないが,法科大学院教育のプロセスの質的向上が図られない。

 悪い法科大学院の退場は,統廃合を主体として行うべきであり,各法科大学院の力をそぎ落とすだけの定員削減は,原則として推奨されるべきではないと思料する。


2 法曹養成過程における経済的支援

(1) 第3,1,(3) 

(2) 意見の内容

 法科大学院生に対する経済的支援が「相当充実」しているとの指摘に反対する。

(3) 意見の理由(一部省略)

 法科大学院生に対する経済的支援について,奨学金の充実等が挙げられている。
 しかし,現在の経済的支援の中には,私立においては生き残りのための採算度外視の学費減免制度や,弁当に近い報酬にて法科大学院で教授する実務家によるアガペー(無償の愛)もあり,永続する制度であるか疑わしい「支援」も存在している。経済的支援が「充実」していると断言するような状況にはない。

 私も,弁護士実務において得る報酬とは比較にならない程低廉な講師料にて講師をさせて頂いている。私個人は,この低廉な講師料に不満がある訳ではないが,法科大学院教育の長期的・永続的な質的充実につながるものとは言えないように思われる。果たしてこれで私の後任の担い手がきちんと確保できるのかといった不安がある。

 修習生の給費制や貸与制の議論と比較すれば余り議論される機会がないように思われるが,法科大学院生に対する経済的支援は,総合的多角的により一層の充実を図るように取り組むべきである。


3 教育の質の向上

(1) 第3,2,(1)

(2) 意見の内容

 個々の法科大学院について見ると,ばらつきがあるとの指摘は賛成する。
 法科大学院の「定員削減」を強く進めることに反対し,法科大学院の「統廃合」を進めることには賛成する。

(3) 意見の理由(1と重複するので略)


4 法学未修者の教育

(1) 第3,2,(2)

(2) 意見の内容

●「共通到達度確認試験」は,試験そのものを行うことには反対しないが,これを進級の条件とすることに反対する。
●法学未修者問題の元凶は,未修と言いながら,大多数が社会人経験者ではない法学部卒であるという点である。例えば,法学未修者に占める社会人経験者ではない法学部卒の割合をせいぜい40%程度に留めるといった施策を打ち出すべきである。

(3) 意見の理由

 法学未修者問題の元凶は,法学部卒の未修クラスが多数を占めているという点にあり,未修者教育も,その解消に力を入れる方向で考えるべきである。

 今の法科大学院の未修クラスには,法科大学院にもよるが,中途半端に法学を勉強した(しかし既習者クラスに行ける程度には勉強していない)法学部卒の学生が多数存在している。彼らは,法科大学院入学当時何ら法学教育を受けていない純粋な未修者や,法学教育を受けたが社会人経験の結果法学を忘れている者との比較でいえば,入学当初はアドバンテージを維持し,大して勉強もしていないのにそこそこの成績を収めることができている。しかし,もともと法学部でも法
律の勉強が十分できなかった者であり,多くは法科大学院で伸び悩み,中にはそもそも法学の適性がなく司法試験に合格すらできない者も多数存在している。このことは実際の司法試験の統計を見ても明らかである。

 彼らの存在が未修クラスの中で多数となると,何ら法学の基礎なく入学してきている純粋未修者らが同じクラスにいることは,純粋未修者の教育に悪影響が生じる。本当は純粋未修者のための基礎的授業をやりたくても彼らはごく少数派であり,どうしても法学部卒の一定の知識ある未修者に対し配慮せざるを得なくなる。

 かかる観点から見た場合,「共通到達度確認試験」も,制度の運用次第では勉強へのモチベーションにつながるかもしれないが,そのような法学部出身者が多数未修クラスに存在するという中で,入学1年後に行われる場合,入学前の法学の総量の差から,純粋未修者には不利で,理念なき留年厳格化につながる恐れがある。これは,志のある純粋未修者を萎縮させ,ただでさえ減少傾向のある純粋未修者の法科大学院入学への躊躇にもつながることが考えられる。

 法科大学院に既習・未修の制度を併存させた経緯に鑑みれば,法学未修者教育とは,純粋未修者の教育を原則とし,法学部卒者は原則として既習者・2年コースで扱われるような「ルート」の振り分けを行わない限り,未修者教育の混乱は止まらない。

 従って,「共通到達度確認試験」は,1年間の学力の確認のため,これを行うそのものについては反対しないが,これが進級条件となると,結果的に法学部卒未修者が益々増え,純粋未修者が法科大学院を敬遠したりすることになりかねないので,これを進級の条件とすることに反対する。

 そして,法学未修者教育を,原則として純粋未修者や法学教育から長く離れた社会人の教育に専念させるため,例えば,法学未修者に占める社会人経験者ではない法学部卒の割合を40%程度に留めるといった施策を打ち出すべきである。


5 司法試験科目

(1) 第3,3,(2)

(2) 意見の内容

 司法試験受験者の負担軽減,受験科目の減少に賛成する。ただし,学習のバランスに寄与するような制度とするよう配慮すべきである。
 その他,米国司法試験にならった,特定科目の勉強を前提としないPT(実務試験)の導入,部分的な外国語の試験も検討すべきである。

(3) 意見の理由

 現状の,7科目全ての択一,8科目の論文を一度に行う司法試験制度は,旧試験と比較しても過酷に過ぎる。司法試験に改善が必要なのは明らかである。

 他方,単純に科目を減らすだけとなれば,各科目についてより深い学習をしなければ合格できないとの印象を与える可能性もある。

 例えば,憲法民法・刑法の3科目は従前のとおり訊ねるが,その余の科目については,出題部分を限定する,(特に択一では)決められた問題からしか出題しない等,「基本的事項の勉強ができていれば合格できる」制度をある程度保障してやり,安心して基礎的勉強を繰り返して貰うような,学習のバランスに寄与・配慮するような制度とすることも一案ではないか。

 なお,現状の試験科目構成を前提とすると,学生は知識偏重の勉強をしてしまいがちであり,法的に考え,法的な文書をきちんと書くといった基礎を疎かにしがちである。ここで参考となるのは,米国でカリフォルニア州の司法試験で始まり,全米に広がったPT(実務試験)である。これは,架空の法律のもとに,一定時間に資料を読んで,法的文書を作成する試験であり,法的なものの考え方は問われるが,前提となる法的知識は殆ど問われない。このような試験があれば,知識よりも考え方の訓練が大事ということに気づき,また,実務的な教育にも熱が入るようになるのではないか。特に,純粋未修者の中には知識はやや足りないが素晴らしい文書作成力や,社会洞察力を有する者もいるのであり,多様な人材の確保の観点からも,司法試験のごく一部であれ,法律知識を前提としない試験の導入は意味があると思われる。

 その他,国際競争力ある法曹の育成という観点から,部分的にであれ,外国語を前提とする試験の導入も検討されてしかるべきである。単純な語学の試験としなくても,英語又は中国語で契約書を作成するような試験があっても良いのではないだろうか。例え選択科目であっても,法曹志望者に対するメッセージとしても意味があるように思われる。

以 上