藤本大学~徒然なるままに(弁護士ぎーちのブログ)

ぎーち(弁護士藤本一郎:個人としては大阪弁護士会所属)のブログです。弁護士法人創知法律事務所(法人は、第二東京弁護士会所属)の代表社員です。東京・大阪・札幌にオフィスを持っています。また教育にも力を入れています。京都大学客員教授・同志社大学客員教授・神戸大学嘱託講師をやっています。英語・中国語・日本語が使えます。実は上場会社の役員とかもやっていますし、ビジネスロイヤーだと認識していますが、同時に、人権派でもあると思っています。要するに、熱い男のつもりです。

こんな弁護士に・・・

 いらいらして勉強が進まないので、下記と同じことをもう少し肯定的に書いてみたい。

 おいらは、こんな弁護士になりたいと思っていままで生きてきたし、生きている。

 第1に、やっぱり弁護士となった以上、なんか社会を良くする力になりたいなあ・・・と。

 第2に、弁護士となった以上、これが一応は知的な職業だと言われる以上は、「最先端」と言われる存在、真の専門家、プロとなりたいなあ・・・と。おいらの場合、まだまだだが、知財、倒産・企業再編法、ネット法を特にしっかりやりたいなあ・・・と。

 第3に、ハートで動く弁護士でありたいなあ・・・と。勿論プロである以上は、プロとして、事件を扱わなければいけない。おいらは、運動論的に、勝ち目がなく、かつ本来司法権の対象ではなくて政治問題に過ぎない問題を訴訟で取り上げてなんとかするっていうパターンは好きじゃない。そういうのではなくて、真に法的紛争がある場合に、それが特許侵害訴訟であれ、倒産事件であれ、単なる子供の喧嘩であれ(小さい事件こそ難しい)、依頼者が攻撃防御を尽くし、かつ、合理的な期間内に、きちんとした結論が得られるように、全力を尽くしたいなあ・・・・と。

 第4に、1人1人の弁護士の力は限られているから、良い事務所を、そういう願い:最先端でありながら、熱い心を持った弁護士が集うような事務所を、そういう司法という観点から社会を良くすることのできる力となる事務所を作りたいなあ・・・・と。それは米国籍の事務所なのか、中国籍の事務所なのか、日本籍なのか、おいらにはわからんが、資本はどこでも良いが、日本人としては、主として日本人のために最良の事務所が作れればいいなあ・・・・と。いまのところ、それがいま所属している弁護士法人淀屋橋・山上合同という法律事務所だと、今はまだ信じているので、この事務所をもっと良い事務所にしたいし、この事務所に足らない部分があっておいらが補えるものがあるとしたら、それを積極的にやっていきたいな・・・・と。でも、この事務所がそれに足る事務所ではないなら、自分で作るなり、他にもっと優れた事務所があればそこに行くなりもありだろう。その先はわからない。

 第5に、これは私の人生の目標である「世界平和に貢献する」ということとも関連するのだが、個性をちゃんと尊重する弁護士でありたいなあ・・・・と。おいら独自の理論?があってねえ、ひとって、全部の能力や価値を足し算すると、誰でも100点になると思うんだよねえ。おいらの場合、まあどこがプラスかはよくわからんが、頭がでかい、短足だ、記憶力が悪い、万人には好かれない、そういうマイナスもいっぱいあるけど、きっとどっかプラスもあって、総合すると100点だと思うんだよねえ。だからマイナスを気にしても仕方がなくて、プラスをもっと伸ばして、個性をもっと伸ばして、生きていかなきゃ、といつも思っている。みんなそうなんだよね。だから、みんな、それぞれ違うけど、それぞれの違いを尊重して、対等であるべきなんだよね。
 イスラエルのやり方見ていると、ユダヤ人以外のひとが死ぬのは構わないといわんばかりのやり方だよね、少なくとも今はさ。そう、昔、JAM(The Yellow Monkeysのシングル曲)だったっけ、こんな歌詞があったよねえ、「外国で飛行機が落ちました、日本人はいませんでした、いませんでした、いませんでした・・・・僕は何て言えばいいんだろう・・・・」。コンビニでバイトしながら、深夜の有線で良く聞いたよ。おいらは、この部分が忘れられない。家族を第1に心配するのは当たり前、日本人として日本人のことを第1に心配するのもある意味当たり前。おいらだってまずは日本の依頼者に貢献したい。でも、それと、他の、その守備範囲に入らない人のことを尊重しない、ということは全然別の次元だよね。日本人以外であっても、多数の死者が出たということが、まず気になるだろうし、心配だよね。
 おもしろいことにウチの事務所では、依頼者が上場・大企業なことも、生活保護を受けている人のこともあるのだけれども、それぞれの個性を尊重して仕事をしていきたい。そして、事件の解決を考えれば、勿論依頼者のために仕事をするのだけど、依頼者の相手のことも頭には置いて尊重したいと思っている。相手のことが尊重できなかったら、今のイスラエル、昔のヒトラーになってしまう。それは事案の解決にならない。法的な訴訟は、残念ながら?相手を死に追いやることはない。真に解決するには、これを道具として、双方がそれなりに納得する結果を目指して、それぞれの代理人が全力を尽くさなければいけないと思う。

 そういう意味で、私が唯一抱えている訴訟事件でも、私の依頼者・相手方依頼者双方のことを、それぞれ、その立場に応じて私は尊重するのだが、相手方の弁護士さんは、どう考えているのだろうか。まあ、主義主張は人によりけりだろうし、私は何も、私の主義主張が正しいとは言わないが。おいらも、相手のやり方も尊重したいが、しかし限界点に近づいている。