藤本大学~徒然なるままに(弁護士ぎーちのブログ)

ぎーち(弁護士藤本一郎:個人としては大阪弁護士会所属)のブログです。弁護士法人創知法律事務所(法人は、第二東京弁護士会所属)の代表社員です。東京・大阪・札幌にオフィスを持っています。また教育にも力を入れています。京都大学客員教授・同志社大学客員教授・神戸大学嘱託講師をやっています。英語・中国語・日本語が使えます。実は上場会社の役員とかもやっていますし、ビジネスロイヤーだと認識していますが、同時に、人権派でもあると思っています。要するに、熱い男のつもりです。

著作権保護技術を考える

Livedoorニュース毎日新聞社配信)平成19年3月3日付
[DVDレコーダー]普及進まず 操作の難しさなどで敬遠か
http://news.livedoor.com/article/detail/3057150/

ビデオデッキに代わる家庭用の映像録画・再生機として普及が期待されたDVDレコーダーが、深刻な売れ行き不振に直面している。一時は次世代DVD発売を前にした一時的な買い控えかと見られていたが、年末商戦でも盛り返せず、最近では「操作の難しさや著作権保護のための録画制限が敬遠されている」との見方が業界で有力になっている。このままでは期待の次世代DVD商戦も不発に終わりかねず、メーカー各社は操作を易しくするなど消費者の関心を取り戻すのに懸命だ。

すごーく分かる問題。特に「著作権保護のための録画制限」は深刻な問題では?

確かに「違法コピー」は許されない。
しかし「コピー」の全てが違法じゃない。
中間領域がけっこう広く存在している。

ところが、DVDでは、本来「中間領域」であって、事情によっては違法ではない筈のコピーまで、「著作権保護技術」によってコピーできない仕組みができあがっている。

同じ問題は、「地上波デジタル放送」にもあてはまる。


中間領域が減るということは、自由が減るということだ。
私的複製(著作30条)、引用(同32条)、米国法で言えばいわゆるフェアユース(米国連邦著作権法107条)といった利用者の権利が小さく小さくなってしまうということだ。


そもそも著作権とは、見えない権利である。
本来、その著作物の複製を適法に手に入れた人は、所有権があるのだから、その客体を自由に使える筈である。しかし、著作者の名誉と努力を尊重して、所有権が一歩引くカタチで著作権が成り立っているのだ。著作権は絶対ではない。所有権との調整の上で成り立っている。絶対ではない筈の著作権が、「絶対」を手に入れたら、どうなるだろう。

無体財産権というものは、特にこれから尊重されなければいけないが、それを過度にやりすぎると、本当に困ったことになる。その結果、無体財産権で保護される技術や財産そのものが、「使えない」ものになりかねない。この調整の精神を忘れては駄目なのだ。


テレビやその録画技術から自由が減ってしまいつつあるいま、他方で、インターネットという比較的自由な世界があるいま、テレビからネットへ、といった情報通信技術の軸の移転は、もはや止められないかもしれない。


「あるある」でも明らかになったが、結局テレビというのは、局が一方的に情報を流すだけなので、情報の検証という点で問題がある。何十年も前なら、視聴者側で誰も調べられなかったので「大本営発表」を信じるしかなかったが、今は違う。

テレビ局が、「表現の自由」の担い手として、偉そうな顔をし続けられるのももう終わりなのかもしれない。キー局にみられる、異常な高給取りの時代も、終わりに近づいているのではないだろうか。