争うということ。
日経新聞電子版平成19年6月15日午前1時10分更新
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20070614AT2M1403L14062007.html
「イスラム原理主義ハマス、ガザをほぼ掌握」
【エルサレム=金沢浩明】パレスチナ自治区ガザで大規模な武力攻勢をかけているイスラム原理主義組織ハマスは14日、敵対するファタハの治安部隊本部など主要拠点を占拠した。ファタハ幹部も同日「ガザ地区は我々の統制下にない」と述べ、ガザがハマスにほぼ制圧されたことを認めた。パレスチナ自治区はハマスが支配するガザとファタハが治安権限を握るヨルダン川西岸に事実上分裂しかねない重大な局面を迎えている。
同じパレスチナの人々が争って殺し合う。
なんとも辛いニュースだ。
争いは、常にエスカレートする宿命にある。
もちろん、良い争いもある。
例えば、私にとって、司法試験を比較的早期に合格できた理由の1つには、大学時代、同じサークルの中に良いライバル?がいたからだ。良い意味で負けず嫌いなモノ同士だったので、お互いちゃんと勉強でき、合格できたように思う。これは、勉強が争いによって「エスカレート」した、とも言えるだろう。
イスラエルを巡る抗争は、イラクの内紛同様、現代の悪い争いの代表例だろう。
イスラエルという国が武力でパレスチナを追いつめる。
経済的貧困に加え、武力で劣るパレスチナ側は、イスラエルにどう相対するかで分裂する。
イスラエルという国家の存在を是認することにした穏健派ファタハと、これを認めない強硬派ハマスは、イスラム教徒同士で争う。これは、ご承知のように、パレスチナが基本的に貧困で、その国の経済が実は国連などからの援助で成り立っており、その援助をファタハ側が流用し汚職が蔓延。これを是としないハマスは、時々ファタフと相対立するという構造なのだが、実際にハマスが政治参加して、前の総選挙では勝利したにもかかわらず、世界がハマス=テロリストのレッテルしか貼らないために、パレスチナの首相を出しながら政治的には無力であったことが、今回の武力による闘争の背景の1つだろう。
武力による争いが「エスカレート」したことにより、仲間割れが生じ、更に果てしない争いが続いていく・・・。特に宗教が背景にある場合、安易な妥協をしづらいために、なかなか争いが終わらない・・・。特に絶対的な神ないしそれに近い者の存在を是認する宗教、善と悪を絶対化させる宗教は、この傾向を加速させる(私がどちらかというと、宗教というものの存在に懐疑的である理由の1つはこのような経験則である。)。
じゃあ、絶対にこのような争いのエスカレートを止めることは不可能なのか?
そうではなかろう。
ただ、そのために必要な条件というものがあるように思う。
合理的な思考と、それに基づく妥協、そして、妥協を正当化するだけの何か(一般には民主政治)が重要ではなかろうか。
パレスチナ側の内紛はイスラエルを利するだけであることは、誰が考えても分かる。黙ってパレスチナ側が大人しくしていれば、人口増加率のユダヤ教徒とイスラム教徒の相違を勘案すれば、いずれイスラエルはユダヤ教徒の国ではなくなるのである。だから、ユダヤ教徒は、最終的には喜んでパレスチナという真の独立国家の誕生を祝福するしかないのである。しかし、内紛が続きこのような人口想定が狂えば、そうはいかなくなる。ファタハとハマスでは考え方が違うかもしれないが、小異を捨てて大同につくことが重要だろう。そして、考え方の相違を妥協で乗り越えることは可能だ。それは、ハマスには辛い選択かもしれないが、ハマスとて、支持してくれるガサの人々が本当は何を望んでいるのか、そこに目を向ければ、貧困問題の解決であることに気付けば、妥協によって、人々の信頼を失うことはないことに、気づける筈なのだが・・・。
このような「エスカレート」した争いの後の「収束」の比較的成功した例として、米ソ冷戦後の核軍縮を挙げることができるかもしれない。米ソは軍拡を争ったが、核兵器の軍縮には、段階的に成功しつつある。
勿論、いまだこれを「成功しつつある」というには早すぎるかもしれないし、広島出身の私としては、実際そう言うのに躊躇はある。しかし、核拡散・核の競争が世界に恐怖しかもたらさないことに、米ソは比較的早期に気付くことができた、と言えるような気がする。結果として、いまだ完全な形ではないし、5大国ばかり優遇されているのは気になるのではあるが、世界の中で、核拡散を抑止しようという動きは完全に一致した方向を向いていると思う。
ただ、これは、宗教と無関係な、イデオロギー競争の中での妥協であった。宗教の場合であっても、妥協ができるのか。。。。疑問はあるだろうが、宗教が真に世界を救うのであれば、できると信じたい。
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世界平和というのは、とっても難しいなあ。。。。
馬鹿なおいらには、なかなか、実現できそうにはないが、しかし、最低限、あれこれ考えてみることは、世界平和への第一歩だろう。