緒方・土屋両弁護士を見て思う弁護士という職業の難しさ
水曜日から、我々の班では、試験があるんですよねえ・・・。
2月のCalBar*1で試験モノは最後だと思っていましたが、学校にやってきたんですから、試験、やっぱりあるんですね・・・。
一応「努力学習」(Nulixuexi)してますよ・・・。
さて・・・。
朝日新聞電子版平成19(2007)年6月18日付
【緒方元長官「乗せられた」 総連本部売却で会見】
http://www.asahi.com/national/update/0618/TKY200706180339.html
世間での、この「偽装」不動産取引を巡る、公安調査庁元長官の緒方さんや日弁連元会長の土屋さんへの風当たりはどうなんでしょうか?
弁護士は、誰が何と言っても、まず依頼者のことを第一に考えます。
何故なら、裁判などの争いが生じた場合、対立当事者のそれぞれが真剣に最大限自己に有利な主張と証拠を尽くしてこそ、真の争点がはっきりし、第三者が比較衡量して、結論を下すことができるからです。これは、司法権の本質とも結びつく点であると思います。
ただ、依頼者のために何でもして良いという訳ではありません。
違法な行為をしてはいけない。これは当たり前のことです。
しかし、おそらく「行列のできる法律相談所」などを見て頂ければ感じて頂けるでしょうし、また、ライブドア事件や村上ファンドを巡る事件でも明らかになったとおり、物事は、仮に専門家が見ても、そう簡単に白黒はっきりできるものではないのです。冷静な判断ができなければ、黒を白と見誤ることはあります。
特に、日本の弁護士は忙しい。
弁護士の種類にもよりますが、沢山の事件を抱えているのが当たり前です。
だから、どうすべきか。
ある種の「制度的保障」として、最低限、白黒を見誤らないような位置に立つように努めなければならないのではないか、そう思います。
具体的には、あくまで代理人としての役割に徹し、依頼者本人=当事者にはならない、ということが大事ではないでしょうか。当事者から一歩退いた距離感があってこそ、冷静な判断ができるもの。当事者に完全になりきってしまえば、見えるものも見えなくなってしまいます。
今回の「仮装」売買は、実際に法的に違法と評価されるものだったかどうか、なお判断が別れるかもしれませんが、その違法・適法の評価はさておき、報道によれば、朝鮮総連の代理人である土屋弁護士が「絵」を描いて、不動産の買い手という「当事者」役を緒方弁護士に依頼してしまっているようです。土屋弁護士は当事者に形式的にはなっていませんが、自ら司法研修所同期の緒方弁護士に依頼するなど、実質的には当事者と言い得る活動をしています。このように、両者とも、深く取引の実現に主体的に関与してしまった、このことが、両弁護士の判断を鈍らせてしまったのではないか、と思うのです。
実は私も、会社更生事件や民事再生事件を通じて、どちらかといえば、自らを当事者的な立場に置かざるをえないことが多い弁護士でした。そういった中で、自らを過度に当事者化させることの危険を感じるような出来事があったのも事実です。
弁護士にもっとも求められているのは、なんだかんだ言いながらも、違法適法を含めたリーガルな判断であり、いかに依頼者のためであっても、それがリーガルな判断でなければ、結局依頼者を害してしまいます。ついつい依頼者のために熱くなってしまう私にとっては、今回の事件は全く他人事ではありません。制度的保障が維持できるような距離感は持って仕事をしていかねばならない、そう確認させられた事件でした。
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といっても、いま仕事を殆どしていませんので、アレですけど。
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23日土曜日深夜、京都で飲めるような人って、私の知り合いでまだいたでしょうか???