何故ボクは弁護士をやっているのか。(1)
9月11日に日本の新司法試験の合格発表があって、その後事務所として合格者向け説明会を開催したりですね、あと、9月27日に京大の松岡ゼミのゼミ総会とかあって、その総会やら、その後やらで若い人と話をする機会が多かったので、法律事務所業界、自分の所属事務所、あと自分自身について、色々説明する機会が沢山ありました。
実は今日もそんな後輩たちと話しをしたのですが(うーん、金平糖残念!)、今日は沢山の人と話をしたかったのに、余り話ができなかったし、そもそも私と縁がない人には、私が思っていることが伝わらないし、いつも考えていることはもっとここでも書いた方が良いかな、と思って、今日はここに書いてみようと思います。まあ、いつも思うことをつれづれなるままに書いているんだから、特別なことを書く訳ではないですが、特に法科大学院の学生さん達に向けて。。
まず、弁護士になるなら、弁護士として、最初の5年をどう過ごすかは、とても大事だと思います。
この5年で、弁護士としての基礎ができると思います。
いくら立派な事務所に入っても、弁護士としてやっていく力を伸ばす機会に恵まれなかったならば、その弁護士個人は、その後成長しないでしょうし、いくら惨めな事務所に入ったとしても、弁護士としてやっていく力を伸ばせたなら、その弁護士個人は、その後、ちゃんと弁護士業をやっていくことができるでしょう。
でも、弁護士としての基礎は一体何なのかは、人によって考えが分かれるでしょう。
これは好みの問題だと思います。私個人は、訴訟をちゃんとできることが弁護士としての基礎だと思っているけれども、そうじゃない弁護士だっていて良いと思います。
ただ、法科大学院を出るか出ないかの頃には、自分がどんな事件に向いているか、とか、どんな仕事がしたいか、なんて、本当はよく分かっていないことが多いんじゃないのかな、と思います。であれば、やっぱり最初は色々なことに触れられる方が良いのではないか、なんて思ったりします。次々と違う種類の仕事をすることが知的好奇心をかき立てるし、そんな中で仕事を比較検討して自分の適性を見つけだすこともできるかもしれないからです。
私自身、今でこそ、「渉外」と呼ばれる事件の割合が高くなりました。
英語や中国語がどっかで出て来ることが多いです。
しかし留学前は、殆どそんな仕事はありませんでした。
普通に地味な訴訟をし、執行をし、保全をし、会社更生・民事再生・破産・特別清算を債権者・債務者・スポンサーの立場で関与し、いくつかの知財訴訟をし、色々な種類の交渉をし、契約書作ったり・・・、あと、個人の破産や相続、離婚やら過払返還とか、国選刑事弁護とか、普通の国内業務を、まあやや倒産方面に偏りはありましたが、色々やりました。
当時は、いま当事務所に存在する午後11時の「門限」がなかったので、まあよく午前5時6時まで残業したものです。
私の留学前の3年8か月は、特定の分野への専門性を育てた、というよりは、ジェネラリストとして必要な知識と経験を得た、という期間だったように思います。
しかしまあ、そのお陰で、どんな事件でも取りあえず分かるし、「中国法」「アメリカ法」とくくってみたところで、中国にもアメリカにも会社法があり、契約法があり、刑法がある訳で、むしろ「渉外」を専門にやっていくには必要な経験だったなあーって思うんです。
「渉外」に限らず、やはり弁護士の仕事とは、ジェネラリストであり、かつスペシャリストであることが望まれていくような気がします。先にスペシャリストになるより、まずジェネラリストとして修行する方が、弁護士の成長過程として良いのではないでしょうか。何事も総論があっての各論です。
そういう観点、つまりは、自分の入所後5年が具体的に想像できるかどうか、それが事務所選びでは重要じゃないかな、と思う次第です。
次回ちょっと違う視点で書いてみます。