藤本大学~徒然なるままに(弁護士ぎーちのブログ)

ぎーち(弁護士藤本一郎:個人としては大阪弁護士会所属)のブログです。弁護士法人創知法律事務所(法人は、第二東京弁護士会所属)の代表社員です。東京・大阪・札幌にオフィスを持っています。また教育にも力を入れています。京都大学客員教授・同志社大学客員教授・神戸大学嘱託講師をやっています。英語・中国語・日本語が使えます。実は上場会社の役員とかもやっていますし、ビジネスロイヤーだと認識していますが、同時に、人権派でもあると思っています。要するに、熱い男のつもりです。

何故ボクは弁護士をやっているのか。(2)


 昨日に引き続き(正確に言えば今日更新したんですが、書いているうちに日付が変わったので(1)は10月10日付の記載になっています)、書いてみたいと思います。


 弁護士は最初の5年で決まる、と私は(1)で書きました。
 別に、自分がこの5年で凄く偉くなったと言いたい訳ではないのです。5年で完成したなんておこがましいことは言えません。私の席の隣には、ものすごく刺激的な、9年間弁護士任官した元裁判官が座っていますが、彼の知識の10分の1も私にはないなあ、と思います。


 ただ、何事にも基礎があって応用があるように、私にとって、今後の弁護士人生を生き抜くのに必要な最低限の基礎部分は、やはりこの5年間(日本では3年8ヶ月ですが)で身に付いたんじゃないかなあ、と思うのです。


 ところで、法科大学院の学生が弁護士になったらどんな仕事をしたいか、なんてわかりゃしねーだろ、ということを(1)では書いたのですが、最近の方とお喋りしていますと、そもそも、何故法科大学院の学生が弁護士を目指しているのか、そのモチベーション部分が弱い学生が、旧試験時代より増えているような気がするのです。今日はモチベーション部分の話をしたいと思います。


 そもそも私が弁護士という仕事に関心を持ったのは、高校時代だったと思います。
 誰しも、進路選択というのをしなければいけません。地方の普通の公立高校に通い、数学と英語・国語の偏差値の差が20(最大40。あ、数学が上という意味です。)もあった私にとって、科目で言えば理系に進むのが当然のようでもありました。そもそも両親ともどちらかといえば理系でしたし、コンピュータとかにも関心がありました。
 ただ、当時小学校時代からずっと好きでやっていた生徒会活動の影響もあったのか、社会科学の分野で勉強して、その分野で、社会を変えるような力になりたいなあ、と思っていました。当然に思いついたのは政治家という職業だったのですが、政治家という職業は選挙で選ばれてなるものであり、地盤もカバンもなく、また、高校の生徒会活動を通じて、どうも私には作戦をあれこれ考える役割は向いていても、人を統率するだけのリーダーたる役割は、できない訳ではないけど向かない可能性があると思いまして、選択肢から外しました。確かに自分を正直に観察して、自分にカリスマたる要素は、あんまりないように思いました。
 残ったのが(他にも色々な職業があったでしょうが、高校生で思い付くのは限られており)新聞記者と弁護士でして、新聞記者はスケールでかいけど自分では完結せず、弁護士は、個々の具体的事件の範囲でしか関与できないけど、自分である程度完結できるところにそれぞれメリット・デメリットがあるように、当時感じました。弁護士に会ったことがなかった私でしたが、弁護士を想像して、本を読んで、この「自分でやる」という自由度と、その「自分でやる」ことが、社会の小さい部分かもしれないけど、具体的に何かを変える力になり得るという部分に魅力を感じました。それでもって、あとは、当時の司法試験の出身大学別ランキング(当時はインターネットでは見られなかったので、「進研ゼミ」の付録みたいなのを見ていたと思います)とかを見ながら、自分に合う大学と思って、京大法学部を受験することにした訳です。それが高3の夏くらいのことでしょうか。


 私は目標設定も遅かったこともあって1年浪人し、平成7年入学の5組配属だったのですが、当時は法科大学院がなかったからか、誰もが法曹になりたがっている環境ではなかったので、また再度、自分の目標を検証する場として、あの大学の自由な環境は良かったなあと思います。丁度大阪でAPECが開かれるということで、「Mプロジェクト」と称して、東南アジア地域の政治・経済を研究するグループを作ったり、あとは、別に大したことをやりはしませんでしたが、法サ連の社会問題を論じるサークルで色々な意見を言い合うことができたのが、自分にとっては良かったなあと思いました。同じような環境の人が、何を考え、どう意見するのかを観察するうちに、社会を変えたいという思いが強くなったり、その手段として、自分はやはりこの道が向いているんじゃないだろうかと思うようになりました。3回生の頃から少し本格的に司法試験の勉強を始めていくことになります。やる気・なる気満々でスタートしたので、合格率は気にならなかったといえばウソになるかもしれませんが、弁護士の道を諦めるというような発想には至らずに済みました。


 自分の仕事で社会が変わっているか、と言われたら、自信をもってYESと言い切れるかどうか、やや不安もあります。しかし、個人法人、日本人外国人を問わず、依頼者にきちんと仕事でお返しをして、物事を前向きに進めていく力の一助になっていると感じることはできます。また、依頼を通じて、今まで知りもしなかった複雑な社会や経済の仕組みに触れていけるのも、知的好奇心をかき立て、やる気につながっていると思います。その知識を生かして、自分が将来何か前向きな提案ができるかもしれないとも思います。この仕事を好きかと聞かれれば、正直(忙しいけれども)楽しくて仕方がない、と言えるでしょう。


 私は、この仕事を、業界全体としてもっと良くするためにも、やっぱりこの仕事を楽しくて仕方がないと思って貰える人に、目指して貰いたいなあと思うのです。


 私の司法研修所時代の友人の1人に、後に弁護士を辞めて旅行のツアーコンダクターになった方がいらっしゃいました。とってもびっくりしたのですが、その方にとっては、それが自分にとって、楽しくて仕方がない仕事だったのではないかと思うのです。どんな仕事であれ、圧力があり、きつい面があります。仕事が好きでなかったら、どんな仕事も苦痛ではないかと思うのです。どんな仕事が合うかという選択は、可能なら早い方が良いでしょうか、仮に一旦仕事を選んだ後でも、遅すぎるということはないと思います。法科大学院に行ってしまうと、司法試験という道が当然のように待ちかまえてはいますが、自分の適性については良く考え、できれば色々な人と議論を通じて検証して欲しいなあと思います。


 毎日の法科大学院での予復習だけでは、法曹の適性の有無の確認や、適性がある場合の法曹としての資質の向上には、つながらないかもなあ、と思う今日この頃です。「ソクラテス・メソド」は勉強以外のモチベーション部分でも、使えると思うし、むしろそこで使う方が効果的だと思います。