藤本大学~徒然なるままに(弁護士ぎーちのブログ)

ぎーち(弁護士藤本一郎:個人としては大阪弁護士会所属)のブログです。弁護士法人創知法律事務所(法人は、第二東京弁護士会所属)の代表社員です。東京・大阪・札幌にオフィスを持っています。また教育にも力を入れています。京都大学客員教授・同志社大学客員教授・神戸大学嘱託講師をやっています。英語・中国語・日本語が使えます。実は上場会社の役員とかもやっていますし、ビジネスロイヤーだと認識していますが、同時に、人権派でもあると思っています。要するに、熱い男のつもりです。

法科大学院教育の質の向上・・・


 委員会に来たら、1時間時間を勘違い。
 早く来てしまったので、少し間が空いてしまいました・・・。
 雨も激しく降っているし、仕方ないので、ちょっとだけ。


 文部科学省に設置された中央教育審議会大学分科会法科大学院特別委員会は,平成21年4月17日、
法科大学院教育の質の向上のための改善方策について(報告)」を取りまとめています。


http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/houkoku/1261059.htm


 これに対し,東京弁護士会は,平成21年7月6日,『中央教育審議会大学分科会法科大学院特別委員会「法科大学院教育の質の向上のための改善方策について(報告)」に対する意見書』を取りまとめました。


http://www.toben.or.jp/news/opinion/2009/20090706.html



 東京弁護士会は,決して意見全体に反対している訳ではありません。特に未習者教育対策の一環として「未習者の1年次の法律基本科目の単位数を6単位増加させる」ことに異議を唱えているのです。


(該当部分・・・中教審意見書13頁)

2.教育内容の充実と厳格な成績評価・修了認定の徹底
(1)法律基本科目の基礎的な学修の確保
○ 今後,法学未修者の教育をより一層充実させるため,司法制度改革の理念・趣旨に反して法律基本科目以外の授業科目群を軽視することにならないよう十分に留意しながら,授業科目やその内容について,各科目群(法律基本科目,法律実務基礎科目,基礎法学・隣接科目,展開・先端科目)に即して適切な科目区分整理を行い,偏りのない履修・学修の確保に配慮しつつ,法律基本科目の質的充実はもとより量的充実を図る必要がある。
○ とりわけ,法学未修者1年次における法律基本科目の基礎的な学修を確保するため,各法科大学院が法律基本科目の単位数を6単位程度増加させ,これを1年次に配当することを可能にする必要がある。その場合,自学自習時間の確保などに配慮するため,履修登録単位数の上限を36単位とするこれまでの考え方を原則として維持しながら,法学未修者1年次については,これを最大42単位とすることを認める弾力的な取扱いが必要である。この取扱いが,法学未修者1年次における法律基本科目の充実を図る趣旨であることに鑑み,法学未修者の修了要件単位数についても,各法科大学院がこれを増加させることができるような弾力的な取り扱いを行う必要がある。
○ 法学未修者1年次においては,法学の基礎知識の定着とともに,法的思考力の修得が求められていることから,授業の実施については,同一の授業科目の中でも,学修のテーマや学生の習熟度に応じて,双方向・多方向的な授業方法を基本としつつ,講義形式による授業方法との適切な組み合わせを行うなど,授業方法の一層の工夫が必要である。

 両者を読み比べば分かりますが,法曹養成に対する基本的なスタンスの違いが読みとれると思います。即ち,


「授業をすれば勉強できる」のか,「授業だけでは勉強できない」のか,


といった違いとも理解できると思います。


 司法試験合格のみで言えば,まあ自分なりの勉強法を確立し,あとはしっかり自学自習をすること,これができれば問題はないと思います。問題は,自分なりの勉強法を確立できない,または自学自習ができないという点に起こる訳です。単に授業数を増やすだけでは,対応できないという東弁の指摘はもっともでしょう。これは,既習者教育でもあてはまります。


 法科大学院によっては,民法の授業で自然債務ばかりを5回も授業を使って教えるところとか,自己の学説に拘って判例通説に立った授業をしないところが散見されるところです。また,ソクラテスメソドを,無意味に用いているところ(米国のロースクールだって,何でもソクラテスメソドでやっている訳ではありません),過度の予習を前提とするところもあります。要するに,教員の中に,


 実務家を養成していること

 法学部で教えていること


の差を認識できていない場合が少なくないのです。


 たかだか6単位のことかもしれませんが、授業以外の勉強こそ大事であるという観点がないと、ちょっと厳しいなあという気がします。