藤本大学~徒然なるままに(弁護士ぎーちのブログ)

ぎーち(弁護士藤本一郎:個人としては大阪弁護士会所属)のブログです。弁護士法人創知法律事務所(法人は、第二東京弁護士会所属)の代表社員です。東京・大阪・札幌にオフィスを持っています。また教育にも力を入れています。京都大学客員教授・同志社大学客員教授・神戸大学嘱託講師をやっています。英語・中国語・日本語が使えます。実は上場会社の役員とかもやっていますし、ビジネスロイヤーだと認識していますが、同時に、人権派でもあると思っています。要するに、熱い男のつもりです。

新司法試験シンポジウム


 今日も東京でした。週の半分が東京だったなあ。
 朝は東京事務所に出社してうち合わせ等をこなし、それが終わって丸の内線で日弁連まで移動。
 普段、外弁委員会を行っている17階で、新司法試験シンポジウムは開催されたのでした。私は大阪弁護士会の法曹養成・法科大学院協力センターからの派遣という立場で出席した次第です。


 総じての印象として、このシンポには違和感が残る部分が多かったです。
 要するに、択一は難しすぎる、未習者が合格するには択一は廃止又は縮小(今年の配点変更がそのための措置だったのでしょうか)、司法試験の情報公開が進んでいない、等々の論調で、現在の司法試験制度に対しある程度批判的な論調で進んでいたように感じました(そればっかりではありませんでしたが)。首肯できる部分もありましたが、そうかな?と思うものが多かったです。


 第1に、新司法試験の択一が難しすぎるかどうか。
 私は受験したことはないので、正確に論じることはできませんが、足きり点が215点(61.4%)と低い(確かに従前よりは高い)のに、その足きりに引っかかった「優秀な人」を救済する必要があるとは思われません。
 個別に難問はあったとは思いますし、7科目が試験範囲というのは少し広いかなあと思います。それは感じますが、論述では、どうしても出る部分が限られるので、全体的な学習をした、知識を習得したということを証するために、せめて6割は取らないといけないのではないかと思います。
 ただ、足きり点が年により変動するのはいいことだとは思わないので、60%固定とかは、良いアイデアだと思います。


 第2に、択一の廃止・縮小ですが、旧試験でも、択一は最終合格には関係のない足きりでしなかったですし、配点をいじるのはアリだと思います。しかし、廃止したら、むしろ「山」が当たった人が合格してしまいます。


 第3に、情報公開の点ですが、確かに一層の公開が進むと良いと思います。例えば、司法試験委員は個別の採点基準を採点時に通達されているでしょうから、事後的にでも、それが公開されれば、司法試験委員が余りいない大学との情報格差もなくなりますし、より公平な競争になるでしょう。
 ただ気になる議論も多くて、例えば、アメリカのカリフォルニア州ニューヨーク州の司法試験では、試験の模範解答が公表されているが、日本はされていない、だから遅れている、というような論調の発言がありました。そのカリフォルニア州ニューヨーク州の司法試験合格者として少し補足しておかなければならないと思います。
 即ち、アメリカの司法試験は、日本の司法試験より、情報公開という点に限れば、全体として見れば遅れていると、私は考えます。
 まず何より、全体の配点の中でそれなりに大きな割合を占める択一試験の問題(MBEに限る。ニューヨーク州では全体の40%、カリフォルニア州では全体の35%)について、公開されていません。正確に言えば、公開されているのもあるが、(恐らくは同じ問題を使い回すために)毎年毎年の問題は公開していないのです。日本は、毎年毎年、択一の問題が公開され、ご丁寧に配点や正解も公表され、受験生の科目別の成績も通知されます。アメリカでは、合格時に、択一の点数(MBEの点数)は分かりますが、合格者は何点で合格したか分かりません(請求すれば分かるんだったかもしれませんが、一般には通知されません)。上述の通り、択一については何も分かりません。仰る通り、論文の問題と模範解答例は公表されますが、ただ1つご留意頂きたいのは、カリフォルニア州ニューヨーク州の司法試験論文の模範解答は、(外国人である私のレベルが低かったのもありますが)そのままは到底真似のできないものです。時間内にこれを書くのは私には無理でした。


 今日、強い印象に残ったのは、一言で言えば「一橋大学」でした。
 松本法科大学院院長や、一橋の卒業生が、一橋の教育、特に未習者教育を語る時の自信みなぎる姿は、結果を出している強みですね。


 法律を勉強するには、ある程度「集中」して勉強を継続する必要があると思います。
 1年次に、未習者の中で「だらだら」勉強することに慣れてしまったら、そのまま、「だらだら」を「頑張っている」と勘違いする恐れがあります。法律の勉強というものは、1つ1つ、細かく知識を得ながら、全体像である大きな地図を理解していく訳で、いわば我慢比べのようなところがあります。一橋の成功は、その未習1回生に、恐らくものすごく強烈な勉強意欲を与えて、できているものなのだろうなあ、と思いました。


 なお、一橋は、関東の法科大学院では比較的珍しいと思うのですが、ほぼ全員がエクスターンシップを取るのだそうです。我々大阪弁護士会は、エクスターンこそ実務架橋教育の中心であると主張してきたところですが、十分な知識に裏付けられたエクスターンであれば、恐らく勉強意欲の向上につながって、更なる進化につながるのでしょう。


 最後に松本院長は、「自助、公助、共助」が法科大学院での教育に求められる旨御発言されましたが、共感します。まずは大学院が何かをしてくれることを待たずに、自らしっかり勉強することであり、原則仕事もない専従学生がたかだか2〜3年の勉強でひいひい言うのは許されないでしょう。自学自習は法学を学ぶものの基本であると思います。そして、自助があって初めて公助すなわち大学院での授業が意味を持つ訳です。そして、仲間との切磋琢磨や支え合いである共助も重要でしょう。


 一度は一橋の授業を聴講に行ってみたいと思いましたが、これは想像ですが、多分授業では他と変わらない面も多いのではないでしょうか。より大事なのは、成功体験をしたことによる学生と教員の自信ではないでしょうか。逆に言えば、いま成績が芳しくない法科大学院は、不成功体験による自虐が問題であり、それを克服できないなら、やはり早めに閉じてしまうのが良いように思われます。


 司法試験の問題についてあれこれ議論したシンポでしたが、結局のところ、合格者を増やせない要因の1つに採用の問題があります。私は、いますぐ3000人にしても大丈夫だと思いますが、私の言う大丈夫とは、3000人に職を約束できる、というものではなく、弁護士事務所に採用される人が半分の1500人であっても、それはそれで良いんだという考え方です。弁護士は今までのような一体感がなくなるとは思いますが、それは仕方がないことで、依頼者としては、弁護士バッチを持っているというだけでは信用できない、良い弁護士と悪い弁護士に別れるという社会になるのは、ある意味仕方ないと思っています。そうしないと、弁護士間の競争も生まれない訳で、世界で戦う弁護士も現れません。
 ただ、質の確保はされないといけないので、今年のように、2200〜2500が目標だったけれども、従前の成績水準に照らし、2000名しか合格させられないということであれば、やはり2000名に留めて頂くしか仕方ないのかなあと思います。でも、来年皆優秀であれば、3000人でも良いのではないでしょうか。