真の国際貢献とは何か?

 イラク戦争の時に、日本はいつも「お金」ばかりだして国際貢献をしていない、と批判された。
 しかし、では、国際貢献とは、自衛隊を海外に派遣することなのだろうか? それ以外の国際貢献は、目立たないが、そもそも戦争という異常事態をベースとして国際貢献を組み立てるのは政策として間違っているのではなかろうか。

 実は日本は、様々な場面で立派な国際貢献をしてきた。今もしている。そして、我が国が得意とする国際貢献を続けることこそ、我が国に課された責務ではなかろうか。

 我々国際的な業務をする弁護士は、契約書を外国語で起案することがある。正直私の場合、作成する契約書の半分くらいは外国語である。英語も多いが、中国語も多い。そして、もし、日本語+英語の契約書を作成するのと、日本語+中国語の契約書を作成するの、一般的にどちらが楽かと問われたならば、中国語だと答える。なぜか。それは、日本の法律概念が中国に輸出された歴史を有するため、用語が類似共通することが多いからである。

 少し歴史を振り返りたい。

 中国を揺るがしたのは、間違いなく、日清戦争(1894)での敗北であった。このとき、清朝が軍事的に近代化していなかったと思われる方もいるかもしれないが、事実は必ずしもそうではない。太平天国の乱(1850-64)、アロー号戦争(1856-60)による清朝混乱に鑑み,日本の西洋化と同様に、清朝でも「洋務運動」というのが発生し、軍事を中心とした産業の強化・西洋化が進んだ。正直、国も大きいので、技術面では日本より早く、大規模に近代化していたとも評し得るのだ。
 ただ、大きく違った点があった。制度と外交である。日本は、「大日本帝国憲法」を発布し(1889)、日清戦争の勝利(1895)により、欧米列強との不平等条約の改正を実現することができた(日英通商航海条約(1894)、日米通商航海条約(1899)。しかし、清朝には、そのような近代的な立法や制度もなく、不平等条約はそのまま残った。さすがの清朝内部でも、この日清戦争の敗戦後は、旧体制を維持したままでの改革の限界が自覚され、憲法制定・議会開設を目指す「変法運動」が展開されるようになった。
 下関条約が締結された1895年に科挙に合格した「康有為」らは、日本や西洋列強の動きを冷静に分析し、立憲君主制を目指す「変法」(戊戌の変法、ぼじゅつのへんぽう)を光緒帝に何度となく上奏し、ついに1898年6月、皇帝がこれを認めて、改革が始まった。しかし、西太后ら保守派の反発を受け、僅か3ヶ月で挫折。結果的に政治改革は行われず、その後義和団事件(1899-1901)による半植民地化を許す結果となった。
 義和団の乱終結以後、西太后は、かつて自らが失敗させた「戊戌の変法」を基本に、政治改革(光緒新政)を開始した。その際、ついに清王朝の手による立法作業がなされることとなり、日本から、少なくとも4人(岡田朝太郎(刑法)、松岡義正(民法)、小河滋次郎(監獄学)、志田𧚄太郎(商法))の学者が招待され、関与した。清朝のもとで、日本流の刑法「大清現行刑律」が現に制定され(1910)、民法刑事訴訟法等の「六法」の案文が公表されたのである(「欽定憲法大綱」(1908)、「大清商律草案」(1910)、「大清民事訴訟法律草案」(1910)等)。

 ちなみに、この時点で既に香港はイギリス領になっている。従って、香港の契約書を中文で読むと、とても読みにくい。英国流の法制度となっており、それをまず英語から中国語に訳しているため、概念の同一性がないからである。

 ただ少しだけ残念なのは、この日本流の「六法」は、ここで止まってしまった。取り組みが遅すぎたのだ。1911年、辛亥革命を迎え、中華民国が成立(1912.1.1)し、清朝がなくなってしまったからだ。
 この後、袁世凱が帝位に就く(1915)等あり、中華民国の国内政治は混乱したため、日本流の金第立法の成立・施行は、中華民国内部においてはなかなかなされなかった。
 その結果、第一次世界大戦中華民国は連合国の立場で参戦し戦勝国となったが、不平等条約の改正に至らなかったのである。
 最終的に、中華民国の「六法」が完備されたのは、いわゆる「北伐」が完了した1928年頃を待たなければならなかった。刑法と刑事訴訟法がまず1928年に制定され、その後、民法民事訴訟法、会社法が1932年頃までには整備された。なお、中華民国憲法は1946年に制定され、1947年1月1日に施行されている。
 
 清朝は終わったが、これらの立法作業に際して、清朝自体に日本から受けた法学の諸概念は残った。故に、中華民国の六法には、随所に日本と同一又は類似の概念が登場する。
 
 試しに、中国語で記載された「中華民国民法」を読んで見たら分かる。
 http://www.6law.idv.tw/6law/law/%E6%B0%91%E6%B3%95.htm

 例えば97条は「公示送達」、98条は「意思表示之解釈」、99条は「停止条件解除条件」である(繁体字を我が国の漢字に変換)。我が国の法律家であれば、ははん!と思うであろう。中国語が分からなくても漢字が分かれば、そのまま読める筈だ。

 そして、第二次世界大戦後、国民党と共産党が争い、中国大陸は確かに中華人民共和国となり、中華民国の六法は廃止されている。しかし、その後、文化大革命を経てなにもかも(ある意味)なくなってしまった中華人民共和国が近代立法を再開した1979年以後、多くの分野の法律が、日本流であった中華民国の六法を事実上参照して制定され施行された。

 試しに、1979年最初に復活して制定された、中華人民共和国刑法を読んで見て欲しい。さきほどほどではないが、ある程度読める筈だ。
 http://www.npc.gov.cn/wxzl/gongbao/2000-12/17/content_5004680.htm
 簡体字だし、社会主義だし、我が国の刑法と全く同じとは言えない。しかし、条文の配置(最初に「第一編 総則」があり、そこで犯罪や刑罰の基本に触れたのちに、「第二編 分則」がきて、個別の犯罪のカタログが記載されるスタイル)や、個別の概念(罪刑法定主義(第3条)、死刑、量刑、累犯、自首、故意、過失、未遂等)は同一又は類似である(相違も中華民国と比較すると多く見られる。例えば、死刑に執行猶予がある。しかし、そもそも「執行猶予」という概念そのものは日本流である)。


 いかがだろうか。このような立法への協力といった国際貢献辛亥革命直前になされたことが、100年以上経ったいまでも、中華人民共和国中華民国に大きな影響を与え、残っていることを理解することができるであろう。故に、いまでも、我が国の法学部・法学研究科に、中国台湾の人だけ(他の国の方もいるが、多くはこの2カ所に固まる)留学しに来るのだ。今にプラスの影響が残る国際貢献こそが、真の国際「貢献」ではなかろうか。

 なお、現在も、中国に対するかつてのそれと比すれば影響の大きさはないかもしれないが、JICAによるODAの一環として、立法支援は行われている。例えば、カンボジア民事訴訟法の起案には、我が国の法曹が関わったことが知られている。なお、中国に対するODAも長らく行われており、民事法の改正時に一定の影響を与えてきたが、現在は、強国となった中国に対する支援はけしからんという声もあって、かなり細っているのが実態だ。そのため、とは言わないが、例えば近時の立法の中には、明らかに我が国の影響ではない立法も目立つようになってきたと思う。代表例は、2007年に制定され2008年に施行された独禁法であろう。明らかにEU機能条約101条102条をベースとして規定されている。

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 なお、こういった話を更に詳細を知りたければ、私の授業を受けるか(同志社大学法研究科「アジア法1」、京都大学法科大学院中国企業取引法」、神戸大学法科大学院「中国法」等)、弁護士業務として私になんか依頼して欲しい。ではでは!