早稲田セミナーの事業譲渡
平成19年5月30日付日経新聞朝刊(下記はBizPlus:M&Aニュース)
「大日本印刷、早稲田セミナーのセミナー事業買収」
http://bizplus.nikkei.co.jp/manda/news.cfm?i=2007052908544ma
早稲田セミナーといえば、「4大」司法試験予備校*1の一角で、旧司法試験時代は、全国に教室をもっているところでした。
旧司法試験は、私が受験していた頃で3万5000人超の受験者が、その後一時は5万人超の受験者がいた訳ですが、いまは合格者の減少と共に減っています。他方、新司法試験は、原則として法科大学院卒業生しか受験できないため、今年の試験でいえば、受験者は5000人未満です。
受験生の数が減るということは、関連して授業や出版していた会社も減るということであり、このM&Aには、時代の流れを感じます。
以前少し書いたかもしれないのですが、米国の本屋と日本の本屋には、決定的な違いがあります。
それは、米国の普通の本屋さんには、法律書が殆どないのです。日本の本屋は、ちょっと大きければ、普通に、私が下記に書いた「消えた本」を売っています。しかし、同じような米国の本は、米国の普通の大きな本屋で買うことは不可能です。
私の場合は、法律書籍はほぼ全て大学(UCLA)の本屋で買いました。そして、日本と比べると、とんでもなく高い!!
要するに、米国では、法律を扱う人が、日本より極度に「専門化」された「専門家」になっている、ということです。だから、本も高い(売れないから)。
私は、米国留学まで、日本で法科大学院が始まることの意味を、若干誤解していたきらいがあります。つまり、未習者を中心に、今まで法律を専門として勉強していない人へウイングが広がり、幅広く専門家弁護士が育成されると思っていたのです。
法律を勉強していない人でも、3年間の専門大学院教育で弁護士になる道ができた、という点はその通りなのですが、実は「幅広く」人材が法曹界に集まる、という点がおそらく間違いです。
大学院を出ないとその職業につけない、という制度は、一言で伝わりやすく言えば、その職業をオタク化する、ということだと思います。何故なら、その他の教育や社会とは、時間的にも空間的にも隔離される訳です。いまよりも、世間的な感覚からは乖離した「専門家集団」になるということです。一般人の視点から分かりやすく教えようという予備校は廃れ、高度に専門的な法科大学院が興隆するということです。一般人に分かりやすい入門的なテキストはなくなり、高度に難解なテキストが興隆するということです。
私自身、日本の司法試験の勉強の際に、予備校の授業には何ら関心がありませんでした。実際予備校は模擬試験の会場(答練の会場)としてしか使っていません。しかし、予備校の本の中には、第一次的な理解のために愛用していたものもあります。例えば、今回事業譲渡される早稲田セミナーの「デバイス」という本、特に民法と刑事訴訟法は好きでした。刑法・商法・民事訴訟法・憲法は、今ひとつという印象でしたが。こういった予備校本が廃れていくことは、法律の世界の間口を狭くし、オタク化していくことにつながると思います。
高度に専門化することは、望ましいのでしょうが、間口が狭くなること、もっと一般的にいえば、法律書が高くなったり、法律書が一般の本屋で売られなくなったり、法律の入門書がなくなってしまったりすることは、どうなんでしょうか・・・。弁護士は確かにスペシャリストでなければならないけれども、ジェネラリストでもなければならない側面があるように思うので・・・なんか微妙です。
専門化するけど、間口が広がるような、米国にはない制度を作ることはできなかったのか・・・。今から思うと、別の道があったような気もして、残念です。ただ、留学前は、そのようなことをうまいこと考えることができませんでした。
予備校だけが流行るのはおかしいと思うけれども、予備校だけが廃れるというのも、diversityに反し良い結果を生まないような気がします。
今回の事業譲渡では、新しい法曹養成制度の全体像や問題点が見えた、そんな気がします。
・・・消えた本、早く買わないと、10年後はとっても高かったりして。。。