藤本大学~徒然なるままに(弁護士ぎーちのブログ)

ぎーち(弁護士藤本一郎:個人としては大阪弁護士会所属)のブログです。弁護士法人創知法律事務所(法人は、第二東京弁護士会所属)の代表社員です。東京・大阪・札幌にオフィスを持っています。また教育にも力を入れています。京都大学客員教授・同志社大学客員教授・神戸大学嘱託講師をやっています。英語・中国語・日本語が使えます。実は上場会社の役員とかもやっていますし、ビジネスロイヤーだと認識していますが、同時に、人権派でもあると思っています。要するに、熱い男のつもりです。

京都大学「立看板」騒動の行方と処方箋

 京都大学界隈では、いま「立看板」問題が熱い。京都大学の卒業生として、地域住民として、また非常勤講師として、またまた弁護士として、私もこの問題に強い関心を抱いている。まずは、事実経過と問題の所在を追い、私なりに考える解決策を論じていきたい。


第1 ここまでの経緯

 そもそも京都大学における立看板とは、京都大学の周辺に存在する「石垣」に、学生サークル等の諸活動を広く宣伝するために置かれる看板である。様々な方が様々な看板を作って置いている。時にサークル活動というよりは、政治的な内容となることもある。





 私が大学に入学した1995年には既に存在していたし、恐らくその何十年前から、学生らの「表現」の一環としてずっと存在してきた。

 立看板は、内容の政治性や大学当局批判的なものがあることもあってか、(時の政権与党や大学当局の中には)これを嫌う人がいてもおかしくはないとも感じたが、恐らく京都大学の学生や地域住民にとっては、それもこれも含めて、風景の一部になっていたと思う。なんというか、この表現内容で嫌だと思うやつがいるとすれば、それはとても肝っ玉の小さいやつだなあと、私は感じていた。

 私が知る限り、最初に立看板が存続の危機を迎えたのは、2004年である。京都大学が、立看板の主要な置き場である、百万遍交差点に存在する石垣を歩道の整備を目的として撤去することを表明したからである。このとき、石垣が撤去されてしまうと、立看板を立てるための支えとなる場所がなくなるため、立看板が百万遍交差点において立てられなくなるのだ。そこで、立看板を守ろうとする学生が、この百万遍交差点付近の石垣の上に「石垣カフェ」と呼ばれるカフェを設置し、後に「いしがき寮」も建設して実力で百万遍交差点付近の石垣を占拠した。この時、大学側は、2005年5月頃から学生との協議に応じ、歩道の整備計画を一部修正して、百万遍交差点付近の石垣が残る計画に合意し、「石垣カフェ」も閉店され、立看板を置く場所は維持された。

 この半年を超える実力行使による学生側と京都大学との協議の歴史は、後で述べるが、今回の京都大学の措置に対する学生の姿勢に影響を与えていると思うが、私は、この時と同じ手法では解決できないと思っている。

 その後、平穏無事に存在していた石垣と立看板であったが、2017年11月、京都大学が立看板に対する新しい規定を設けることを公表し、大きく動き出すことになる。

 当時の報道によると、京都市は、これらの立看板について、常時あるいは一定期間継続して屋外で公衆に表示される「屋外広告物」に該当すると判断し、京都市屋外広告物等に関する条例(以下「本条例」という。)が設置を禁じている擁壁への立てかけや公道の不法占用に当たり、市長の許可も得ていないと指摘し、大学に指導があった模様だ。

 京都大学は、このような京都市の指摘も受け、2017年12月、京都大学立看板規程(以下「本規程」という。)を制定し、次のように立看板の掲示を制限した。即ち、(i)立看板の設置は、総長が承認した団体に限られ(2条)、(ii)その設置も大学が指定した場所に限る(3条)ものとし、その他大きさ(2メートル四方以内)や設置期間(30日以内)についての規程が設けられた。なお、2条については、いわゆる新入生のサークル勧誘時期(2月20日〜4月20日)及び11月祭の時期(10月15日から学祭終了まで)に限り、承認団体以外の学生団体が設置することが許されている(7条)。この規程は、2018年5月1日に施行されたが、この際、設置場所は、学内の場所に限られたため、百万遍交差点付近を含む、大学の外側に面した石垣は、全て設置場所から除外され、従前と同じ場所における「立看板」の実施が規程上は不可能となった。

 本規程の施行後も、一部の学生とみられる者が百万遍交差点付近や京都大学の正門付近の石垣に立看板の設置を強行しており、少なくとも5度、大学側によって立看板が撤去されるという事態が続いている。

 様々な報道もあり、関心が高いためか、2018年6月13日、京都大学は、「京都大学立看板規程に寄せられた意見等への対応について」を公表した。これによれば、本規程の改正等も視野に入れるほか、京都大学の外部向けの立看板設置場所を西部構内に設けることを表明している。但し、末尾記載のとおり、「本学外構周辺の立看板等については、京都市屋外広告物等に関する条例に抵触するのみならず、道路の不法占用に当たること、歩行者に危険になりかねないことを内容とする市からの指導を受け、また、歩行や児童の通学にとって危険であるなどの周辺住民からの苦情も寄せられているところです。事実、倒れた立看板が通行人に当たって負傷させた事例が過去に複数回起きています。京都市にある大学として本学のみが特例的な扱いを求めうる根拠はなく、法令違反を犯さないよう、引き続き、学生・教職員に求めてまいります。違反が発生した場合には、今後とも大学が立看板等の撤去を行うとともに、再三にわたり法令違反行為を続ける者・団体に対しては、法的な措置を含め、厳正に対処します。」と述べ、従前の百万遍交差点付近や正門付近の石垣に立看板を設置することは許容しないことを改めて表明している。


第2 問題の所在と評価

 以上見たとおり、京都大学は、(i)本条例に違反し、道路の不法占用にあたること、(ii)歩行者に危険があり負傷させた事例が過去に複数回起きていることを理由として、百万遍交差点付近や正門付近の石垣に立てかける従来からの「立看板」を認めないことを改めて公表している。また、(iii)その許容性の1つに、西部構内に外部向けの立て看板設置場所を設けることも考慮する必要がある。これらを総合的に考えて、本規程に基づく立看板規制が妥当と言えるであろうか。

(i)本条例に違反するか?

 まず、京都大学といえども社会的な実在であり、法令遵守をしなければならないことは勿論である。特に、京都市から指導があったという事実からしても、(i)本条例に違反すると指摘されてしまうのであれば、これに何らかの応対をしなければならないのは当然である。では、百万遍交差点付近や正門付近の石垣に設置された立看板は、本条例に違反するのであろうか。

 ある掲示屋外広告物法2条1項(本条例もこの定義に従う)所定の「屋外広告物」に該当するか否かは、憲法の定める表現の自由との関係もあり、古くは最高裁でも争われ(最大判昭43.11.18、最判45.4.30)たが、たとえ営利広告ではなくても、「常時又は一定の期間継続して屋外で公衆に表示されるものであつて、看板、立看板、はり紙及びはり札並びに広告塔、広告板、建物その他の工作物等に掲出され、又は表示されたもの並びにこれらに類するもの」一般を指す。従って、京都大学百万遍交差点石垣や正門付近石垣に設置されてきた立看板は、よほど短期間の掲示であれば別論、基本的に同法2条1項所定の「屋外広告物」に該当する。そして、京都大学百万遍交差点石垣付近は、本条例8条1項11号所定の「沿道型第2種地域特定地区」、正門石垣付近は、本条例8条1項2号の「第2種地域」に指定されているため、本条例9条1項により、立看板を含む野外広告物の設置は、原則として京都市の許可を必要とする。とすれば、そのような許可を得ずに設置する立看板は、条例に違反して設置が許されないという結論となる。

 もっとも、本条例9条1項但書では、かかる規制の例外が規定されており、その1号及び本条例6条1項2号及び3号によると、次のような屋外広告物は、この規制の対象外とある。
(2) 国若しくは地方公共団体の機関又は別に定める公共的団体が公共の目的のために表示する屋外広告物及び国又は地方公共団体の機関の指導に基づき表示する屋外広告物でその表示の公益性が高いもののうち市長が指定するもの
(3) 工事,祭礼又は慣例的行事のために表示する屋外広告物で,表示する期間をその物に明記するもの(当該期間内にあるものに限る。)

 また、本条例9条1項但書の5号によると、「団体(営利を目的とするものを除く。)又は個人が政治活動,労働組合活動,人権擁護活動,宗教活動その他の活動(営利を目的とするものを除く。)のために表示する屋外広告物で,第11条第1項各号(第6号を除く。)に掲げる基準に適合しているもの」についても、規制の対象外である。第11条第1項各号の解説を省くが、結論だけを言えば、この条項によれば、表面積が2平方メートル以下の立看板であれば、条例違反とならない可能性もあるが、立看板を現状のように道路上に設置するとなると、「道路の路面に屋外広告物を表示してはならない。ただし,法定屋外広告物及び公益,慣例その他の理由によりやむを得ないものとして別に定める屋外広告物については,この限りでない。」(5条2項)になお抵触する点はクリアしなければならない。例えば、石垣に設置する場合でも、道路上に設置して石垣に立てかける形式としてしまうと、現状では本条例5条2項本文違反となる可能性が極めて高い。道路上ではなく、石垣の上部に設置する場合は、本条例5条2項本文には違反しない(もっとも、「擁壁」(本条例5条1項6号、同施行規則5条4号)への設置も禁止されているので、これに該当することも回避しなければならない。)。

 要するに、京都市に個別の許可を求めないとするのであれば、本条例6条1項2号の指定を受けるか、6条1項3号の期間内に該当するか又は5条2項の定めを受けるかしなければ、百万遍交差点石垣又は正門付近石垣に設置する立看板(道路や「擁壁」に設置)は、少なくとも形式的には本条例に違反すると思われる(なお、道路にも「擁壁」にも設置しない立看板の場合は、違反とならない可能性もある。)。

 なお、「形式的」というのは、そのような規制が憲法の定める表現の自由に違反して違憲無効であるという可能性も0ではないために置いた表現である。もっとも、前掲の2つの最高裁判例に照らすと、違憲の主張が通る可能性がないとは言わないが、そう容易な道ではないため、立看板の設置は表現の自由の行使として慣例により認められ、条例が違憲無効という主張は、刑事裁判であればあり得る主張かもしれないが、この問題の解決との関係では、前面に押し出すべきではなかろう。

(ii)危険か?

 京都大学は、立看板による事故が過去に複数回起きているという。しかし、この点はちょっと理解できない。第一に、既に何十年という歴史がある立看板が本当に危険であれば、もっと早期に対応されていた筈であるし、どのような事故だったかも不明である。台風等である場合であれば別であるが、通常の状態であれば、一般には危険性は低いと思われ、もし危険だとするのであれば、大学側から具体的な事故態様が公表されてしかるべきであろう。

(iii)西部構内はどうか?

 この点は評価が分かれるかもしれないが、立看板とは、見る人が多い場所に設置しなければ看板としての意味がないところ、西部構内までわざわざ立看板を見に来る者がどの程度いるか(特に学外の者)というのを考える場合、代替措置としては不十分ではないかと考える。なぜそう考えるかと言えば、京都大学の卒業生であり、地域住民でもあり、現在も非常勤講師である私自身、西部構内に滅多に行かないからである。


第3 立看板維持派は何をすべきか?

 以上見たとおり、百万遍交差点石垣や京都大学正門石垣に設置する立看板は、京都大学の学内規則である本規程に違反するのみならず、少なくとも形式的には、京都市の本条例に違反している可能性が高い。従って、現状京都大学が採る措置も、やむを得ないように思われる面もある。

 しかしながら、立看板の長い歴史と意義に照らせば、その必要性も十分認められると考えるところ(そうでなければ、このように大々的に報道されないであろう)、本条例違反と解されることを回避するため、立看板を百万遍交差点石垣や正門石垣に設置したい学生は、本条例に基づき立看板が認めて貰えるような交渉を京都市との間で行い、また、京都大学に対しても、京都市との間で、そのような交渉を行うように促すべきではなかろうか。

 そして、そのような交渉を有利に進めるためには、大学との闘争を繰り替えるだけでなく、市民に訴えることが重要だ。京都市とて、これが政治的な関心につながるものだとすれば、選挙の争点となり、無視できなくなる。場合によっては、署名を集め、条例改正に向けた直接請求権の行使のために動くことも考えられる(有権者の50分の1の署名を集めれば、地方自治法に基づき条例の制定(改正)の請求をすることができる。)。条例が立看板を正面から認めるならば、良いのだから。

 かつて、先述のとおり「石垣カフェ」は事実上実力で京都大学との交渉を勝ち取り石垣を残置することに成功した。ただ今回は、単なる学内の工事の問題ではなく、京都市の条例の問題が存在しているため、大学側に対する実力行使のみでは、条例違反による逮捕という事態を招く可能性があり、適切な解決とならないことを懸念している。

 参考になるかどうか分からないが、京都で長く伝統のあるものに「川床」というものがある。
 鴨川の納涼祭は、長い歴史の中で昭和17年頃一旦途絶えた。そして納涼祭(川床)を行う床が、河川法で規制される河川の上であり、また景観との兼ね合いもあって、戦後すぐに復活させることができなかった。しかし、地域と京都府との話し合いの末、京都府鴨川条例及び鴨川納涼床審査基準に基づき、現在は同基準に基づき、約100店舗が川床をルールに基づいて実施している。公の所有である河川の上であっても納涼祭を実現できているのであるから、道路の上であっても、立看板を実施できない筈はない。ただ、立看板等の設置場所が(たとえ大学に隣接する場所であるとしても)学外となれば、同様に何らかのルールは必要であろう。

 また、交渉に際しては、本規程及び本条例に鑑みると、危険性に対する懸念はある程度解決する必要があるように思われ、設置期間と設置者の表示を受け入れることができるかも問題となるように思われる。京大の立看板は、時に政治的内容も含むことから、匿名性が保たれなければ十分な批判ができないと考える者もいるかもしれない。もっとも、この点は、危険性を回避するための連絡方法なのであるから、学籍番号その他の代替的な連絡手段(例えば、ツイッターのidを記載するというやり方もあるかもしれない)があれば解決できるかもしれない。

 立看板を作ってくれる学生に頑張って欲しいというエールを込めて、京都大学京都市との交渉、場合によっては市民への働きかけを早急に始めるべきとアドバイスしたい。そうでなければ、長い歴史を有する立看板が、学生の逮捕という悲しい結末で終わってしまうのではないか、強い危機感を覚える。解決策はあるのだから、その正しく合理的な解決策に向かって頑張って欲しい。

 そんなことは面倒だと思う学生も多いかもしれない。しかし、面倒なことをやるのも、学生生活としてまた一興ではなかろうか。