藤本大学~徒然なるままに(弁護士ぎーちのブログ)

ぎーち(弁護士藤本一郎:個人としては大阪弁護士会所属)のブログです。弁護士法人創知法律事務所(法人は、第二東京弁護士会所属)の代表社員です。東京・大阪・札幌にオフィスを持っています。また教育にも力を入れています。京都大学客員教授・同志社大学客員教授・神戸大学嘱託講師をやっています。英語・中国語・日本語が使えます。実は上場会社の役員とかもやっていますし、ビジネスロイヤーだと認識していますが、同時に、人権派でもあると思っています。要するに、熱い男のつもりです。

何故米国では弁護士報酬を高くできるか?


 明日予定していたCourtでのHearingが1週間延期されたこともあって、担当の弁護士と比較的長い時間、事件外の話ができた。そこで、自分なりに日米での業界の相違についていくつか議論をしてみた。その1つに、弁護士報酬の話があった。


 何故米国では、クライアントが高額の弁護士報酬を払うのだろう??という素朴な疑問だ。


 じゃあ日本は安いの?そんなに?という向こうの質問からスタートしたのだが、確かにタイムチャージで換算すれば、1時間あたりのFeeはさほど違わない。例えば私をretainする場合であれば、1時間あたり3万円程度をchargeするが、こういう額面では違いは少ない。でも、圧倒的に実際の支払額は違う気はする。


 彼の意見はこうだ。

 もしも、日本が安く、米国が高い、というのが本当だとすれば、それは、日本の弁護士がみんな質が良いからではないか。日本人弁護士と何十人も会ったが、能力的に疑問を感じる弁護士に会ったことはない、と(そこに私が含まれているかなあ・・・)。ところがここでは、弁護士なら誰でも優秀で問題なく代理できるとは限らない。弁護士のMalpractice(弁護過誤)も多い。優秀な弁護士を抱える巨大事務所が日本より沢山あるように感じるだろうが、それでもそういう事務所は弁護士のトップ5%に過ぎない。だからクライアントにとっては、優秀な弁護士をみつけるのが意外と難しく(利害相反を考慮すれば同一業界で同じ事務所を使う訳にはいかないし)、見つけられたなら、高い報酬を払ってでも維持すべきと考える、と。ところが、日本では、確かに巨大事務所はまだ少ないかもしれないが、別に巨大事務所に依頼しなくても、中小の事務所が弁護士の質という意味で劣るということは相対的に少ない。巨大事務所のような高額な経費がかからない分だけ、中小の事務所は比較的低価格にリーガルサービスを供給することができる(利害相反がある場合でも、実は比較的簡単に代替となる弁護士事務所を見つけられる)。その均衡上、それなりに大きな事務所も、弁護士報酬が安くなるのではないか・・・。


 要は、質が悪い弁護士が沢山いることによって、質の良い弁護士が目立ち、その結果価値が高まる、ということか。


 確かに、自分の同期を見ても、特段誰が劣ってる、と考えたことはなかった。だって、例えば学歴の比較・・・これは余り今まで日本では意味がなかったが・・・をしても、東大、京大、早慶中が大半を占めるので、余り意味がなかったからだ。


 しかしここ米国では、全米弁護士協会(ABA)が公認するロースクールだけでも、約190校も存在し、1年間でおそよ5万人が(弁護士登録するかどうかは別として)新たな弁護士登録資格を得るのである。様々な「弁護士」が輩出されて当然である。弁護士内部での階層社会化も当然発生するだろう。

 日本も約70校の法科大学院ができ、年間3000人程度の法曹がうまれることになる。ついこの間、質の低下を嘆いてみたが、確かに、弁護士というだけでは質が保証できないことによって、かえって競争により付加価値が生じるというのは、あり得る話かもしれない。みんな良質だったら、わざわざ高いFeeを要求する事務所に事件を依頼しなくてもいいじゃないか。


 ちなみに、私も自分のWebsite「藤本大学」で弁護士事務所の抱える弁護士人数ランキングを作っているが、米国では、弁護士人数だけで法律事務所が評価されるということはない。だって、雇おうと思えばまさに五万と雇える訳である。数がいても仕方がないのだ。ランキング好きなアメリカ人らしく、様々な統計でランク付けをしているが、上位に顔を出す法律事務所の中には、人数でいえば、トップ50(おおむね600人以上)に入らないところも出てくる。いま日本では、弁護士の人数だけで「4大」とか呼んだりしているが、日本でも、弁護士の質がばらばらになるなら、人数評価は意味を失っていくのかもしれない。


 ただ、質が下がることによって上位の事務所が安定するというのは、それで良いのかな?という気もしなくもない。そもそも、上位も下位もない世界な筈だった訳で。。。


 まあいずれにしても、自分自身を色々な意味で鍛えていかなければならないことだけは、確かだ。